7月12日(金)夜。雨が降ったり止んだり、気圧爆下がりの気温も爆下がりなどんよりした空の下。
終演後にTwitter(まだ旧名称使ってるオタク)でざわざわざわついていましたよね〜〜〜
「炎の風景(原題:THE LANDSCAPE WITH WEAPON)」を観て、噛み締めながら、溢れそうなほどのエネルギーを受け止めながら、頭の中を整理するので、大手町の空気がやけに美味しかった。
観劇を悩む人の中には「戦争ものかあ…重い内容だよな…専門用語?難しそう…」と腰が重くなる気持ちがあると思います、
わ、わかります!!!!
でもこの作品が東京で上演されたこと、それを実現させた多くの人の思いが、もっと多くの人に届いてほしい。
多分今回、開演時間を理由に断念する人も多いと思うのですが、少しでもお金と時間が許すのであれば、突き動かされるままに大手町よみうりホールに向かって欲しい、月曜も休みだし!21日まで大手町でやってるし!神戸もあるし!
作品の印象:巻いた種はすべてひっくり返す
この作品、ネタバレにならない程度で言うなら「巻いた種は全部ひっくり返していく」スタイル。
表現方法が秀逸で、何よりも「人間の力を信じて作られている」ことが伝わってきます。
パンフにもあるように、登場人物それぞれが「前後の人生」を学び、想像し、背負った状態で登場する。全編通してここまで入り込めたのは、ひとりひとりが前後の人生を歩んできた/いるように思えたから。見てもいない兄弟の昔からの景色が見えてきたり、契約のシーンが見えたり。だからこそ見えない世界に恐怖と不安を感じる。
ここまで人に対する不信感を浮き彫りにする舞台でありながら、「人間の力」を信じた上で成り立つこの作品。それは演じる側も、板の上だけでなく関わる作り手も、そして、観る側も。
観ることの意味
この作品、決して難解な作品ではない。と思っています。「ふーん」「嫌な言い方だな」「怖いな」と、自分の視点で受け取れる。映画を観るように、座って、耳と目で受け止める。
それに、専門用語は飾りでしかなく、人の心を打つためにあるわけじゃないし、賞のために演じているのではない。
ひとりひとりが登場人物のワンシーンを見せ、伝えてくる。そこにあるのは現実で、エネルギーをきっと自然と感じ取れるはず。
さあ!ネタバレしっていくよ〜〜〜ん!
ネッドという人物:誰よりも「人間らしく」苦悩し、抗う。
ネッドは、自分を【物凄く賢い】と思っている。
それに、都会的で、おしゃれで、多分かっこいいとも思っている。それに対し、兄・ダンのことをダサいと思っていて、「あんなところにJeep?!」と笑ったり。トスカーナに別荘を持つところとか、決して都会的ではない服装とか。なんだか王道すぎて、ダサいって思っているんだろう。そして、兄と比べて、自分を誇りに思ってるんだろうな。部屋の椅子がフリッツハンセンみたいでおしゃれだし、高そうな布使ってる(言い方)パジャマ。家も日本でいうところのタワマンに住んでる、みたいなことなんだろう。
兄の妻・反戦的なメアリーにも皮肉たっぷりだし、母のことは1番馬鹿だと思って見下している。そう、かなりの女性蔑視。(まあ正直ネッドだけでなく作品全体的に女性の描かれ方が2003年2007年って感じですが。。
お金があることに、稼ぐことができる自分に喜んでいて、誇示して、自分を理解してもらいたい、認めて欲しい。そんなことが一つ一つから見て取れる。 端的にいうと、モテようとしてる感じ。
でも、ローンは組めない。車も買えない。まだちょっとお金をもらった程度だから。
銀行からすれば、社会的信用はまだ低い。ものすごいものを作ろうとしているのに、「実物」がないから評価されない。自分が見下している歯医者の兄に対し、ローンも組めないネッド。そして、この後も複数の人間から「子どもは?」と聞かれる。妻にも去られ、もはや家庭を失ったネッドは独身貴族のように立ち振る舞う。しかし、社会的強者になれない。なっていない。だからこそ社会的には信用度が高い兄と自分を比較して、安心したいんだろうと思う。
一方で、開発の話を兄にしたのは、きっと見下しながらも兄は多少賢い人間だ、と認めていたからだと思う。それはきっと兄が自分の才能を認めてくれていたから。 妻と行為をできないと言いつつも、1人気持ちよくなるだけのわがままと思わせて、実はネッドなりに妻を守る抑止力だったのかもしれない。案外、ネッドはネッドなりの愛と思いやりを持っていたのではないだろうか。
ただ、ネッドは自分をまともだと思っている。「自分の開発したシステムこそが平和を維持する手段だ」と信じて疑わない。「絶対に狂うことがない」「攻撃は機械が間違えるものではない」「ミスするとしたら人間のせい」____そんな自分を兄・ダンが頭を冷やそうとし、力ずくで殴りかかってでも間違いであると訴えてくる。
そして、その「抑止力」のため、という信念は、企業と国家による建前の刷り込みだったと2幕で判明する。
「実物」にこだわる理由
ネッドが実物にこだわった理由は、2つあると思われまして、、
1・認めてもらうため。
家は賃貸で、安定した給料も、家庭も、子どももいない。そんな仮説にまみれた自分という存在を証明するために、「3次元に現れる成果物」を欲していたのではないだろうか。きっとネッドは賢いからこそ、自分が空想的なんだと気がついているはずだし。。
2・潜在的に本能が求めている
ネッドが自分のシステムから派生して想定される兵器への話をするとき、昆虫から着想を得て話すとき。博物館で見たおもちゃの話をするとき。いずれも自分の中に設計図が作られて、現実のあと一歩まで脳内で生まれる。システムは割と成果物が得られやすいから、自分の想像した「もの」が作動する。でも、実物となると生産などシステムの実現よりも高いハードルになる。
きっと、自分が描いた「実現できるかわからない最大限の空想物」が現実になるかも、と思った時に感じたことのない興奮があったのだと思う。おそらくネッドが契約書にサインしたのはお金だけが理由ではない。社会的地位を得るためだけでもない。作り手として、クリエイターとして、それがたとえ人の命を奪うものであったとしても「見てみたい」という欲求があったのだと思う。
ちなみに、このネッドの思考に近いことを映画・アルキメデスの大戦で見て、戦争反対を掲げながらも巨大戦艦を見てみたいと思ってしまう菅田将暉や軍艦を作らせまいとするはずの舘ひろし演じる山本五十六が心の底で戦いを望む感情が沸き上がってしまった自分への恐怖を感じるシーンが描かれていていたことをふと思い出しました。映画ではその後は描かれず、史実を元に結果を知るわけですが、、ネッドは根底にある自分の中の狂気に気がついたとき、何が抑止力になったのか。いつ、自分の中に狂気があると、自覚したのか。
兄との関係性:愛という抑止力
兄・ダンはネッドを気遣いながらも、戦争に加担していることに絶望する。
ダンは「子ども」「家庭」が抑止力になると信じているが、ネッドには言葉が届くどころか、自分の考えを否定され、突き放される。ダンもまた、ネッドに言葉と社会の刃を突きつけているのだ。ネッドは子どもがいない・妻がいない(別居)など社会から孤立している寂しさを抱えている。
そんなネッドに対し、ダンはついに前半の終わりに表現を裏を突いてくる。ネッドを理解するどころか、狂っていると叫ぶ。そして、「自分は少なくとも人を傷つけていない」と弟の信念である仕事に潜む大きな欠陥__命を奪いうるもの・争いを悪化させうるもの であることを指摘する。
ただ、兄弟の議論が愛に変わる瞬間があり、そこに人間らしさが垣間見えた。1幕の序盤、 兄が顔のどこにボトックスを打ったのか見せてと、せがむ姿。兄もネッドがこのままだったらいいのにと思ったことだろう。
この作品の物理的見せ場である兄弟喧嘩でテッドは愛を感じ、抑止力とするのであれば兵器ではなく、「議論が大事」だと気がつくわけですが…(おかえり)
水バシャ!の通り、国と会社の枠組みの中では、覆水盆に返らず。もう変えることのできないレールを進むしかない____
ロボットのように扱われる人間
ネッドは、純粋で有能なエンジニアとして「兵器」と「金」のため、利用される存在となっていた。自分がスゴイと評価されたのではない、自分が金に、権力になりそうな道具だと思われたのだと。
…これは舞台では描かれていない、想像の話だけど多額の現金と「自分の欲しい言葉をかけてくれる人たち」に乗せられるがまま、契約書にサインをした。しかしロンは最初からマージン、金でのみ見ていた。だから、登場した時もどこか薄っぺらくて、敬意は感じられなくて、でもやけにネッドが喜びそうな言葉だけを選んで伝えてくることに観客は違和感を感じた。とても上っ面、テッドを乗せるためだけのおべんちゃらだと透けてとれるが、口がうまいから契約時も同じように乗せて契約させたのだろう。そして、ネッドは「大金を生む機械」のように扱われる。その後、乗せられていることに気がついているネッドは「理解していない」人に頼むことはできない!と反旗を上げる。しかし、ネッドが自我を持ち始めた瞬間から、国と大企業にとって「都合のいい存在」ではなくなっていく。
見ているこちらからしたら、他に代わりなんて考えられない、かけがえのない天才エンジニアのネッド。だけど彼らからしたら「ただ言うことを聞いてくれるドル箱」でしかない。
その後自爆テロの話が出るが、利用されるのは特に信仰心があるわけでもない、「自我を持たない者」。命の尊さが使い捨てられていく残酷さ。
何が恐ろしいって、ロンは女性であり、子育てをしながらもこの思考であること。赤ちゃんは、寝るのも起きるのも、何をするにもなんとか命を繋いで、大きくなっていく。そんなかけがえのない命が、ぽいっと捨てられていくのである。
狂気と正義の境界
ネッドも始まる前からすでに健康な思考ではなかったことも判明する。どんどんと誰の発言も信用できない方向へ向かっていく____
今回観劇して驚いたのは、2幕からのとんでもサイコスリラー展開。パンフを読んで須賀さん演じるブルックスが「追い詰めるの楽しそう」と評されていながらも、2幕始まっても別にそんな雰囲気なくて、「え〜〜何?もうここからネッドが大暴れして終わりなんじゃないの〜?」くらいの予想だったわけですが・・・ブルックスが登場した瞬間、「あ、生きて帰れないかも」とストーリーが大きく揺れ動く。登場とともに自分より格上と気がつき威嚇するネッドに対し、睨みつける蛇の如く「言ってる意味わかるかな?」高圧の神すぎる表現。。「自殺もいいな」と呟いてみたり、笑顔で接してきたり、決して自分の発言を揺るがせなかったり。全ての表現に不安を感じさせ、少しの綻びに命の危機を持たせる。
もはや噛むことも演出の一部だったのかもしれない。と思うほど、言葉が詰まることで、実はずっと前から精神的な追い詰めされていたのでは、を表現していたように感じた。
そしてラスト。堕落したネッドにダンは寄り添う。子供たちもお前を愛している、と。でも1幕では微笑ましかった、顔を覗き込んだり追いかけ回していたことさえ、なんなら直前まで微笑したかった歯を見せるシーンでさも認知の歪みで恐怖に、不信に変わってしまう。居場所をブルックスに伝えた兄は、自然と身につけたネッドの転がし方を身につけ自分なりの抑止力としているのかもしれない。 外出しようと喜び、準備をするネッド。しかし兄の顔は曇り続けていた………
がらくたへの恐怖
ネッドは解雇される際にバグを残す。ガラクタ呼ばわりされるネッドの発明。そして、がらくたのようになるテッド。いや、もっと前から、自分ががらくたであると思っていたのかもしれない。ネッドは頑なにもう知られているであろう自分の症状を隠した。きっと鬱とか、そんなところだろう。きっと、怖かったんだと思う。ずっと何にもなれない、何も手元にない自分が。理解者が現れないことが。夢の中で生き続けてきた自分が兵器で才能を見出されるとは夢にも思わなかっただろう。せっかく掴みかけた「普通」のスタートラインの中で見つけてしまった「バグ」で、社会からガラクタ扱いされることを誰よりも恐れていたから、おしゃれで、都会的で、至って普通の、誰にでも愛される人間でありたいと願っていたのかなあと思う。
翻訳について
「イスラエルに友人だっているんだ」というネッドの発言。今でこそ戦禍の中心だけれども、2003年2007年の頃はまだ「IT先進国」というニュアンスだったのかな?と思う。もちろん、不安定な情勢ではあったと思うから今とニュアンスは近いと思うけど、、だから、ネッドのいう「イスラエルに行ったことはないけど友達がいる」っていうのは、メル友みたいな(9/14追記:Facebookとか)関係性のエンジニア仲間がいたのかな、とここまでは観劇前の知識で思ったこと。でも、イスラエルってかなり軍事的な背景を持って発展したIT大国だったようで、、
ともすればネッドが「イスラエルに友人がいる」というのはかなり要注意というか、その一言だけで推察することが多くなるというか。。
そんな種まきを原作からわかりやすく届けるニュアンス、翻訳の絶妙さ。
翻訳劇だからこその「海外の話だ」って感じさせる言葉選びで、他文化の空気を感じさせる。
小川さんが翻訳したTake me outも観劇したので通じるものを感じたし、それに舞台であることも踏まえるのだから、皮肉がコメディにならないようなバランス。会話から滲み出る文化の表現がとてもうまい人なんだなって2作品を通して確信しました。
セットについて
シンプルだけど洗練された部屋、そこからそれが掴めない、空虚のような資産であるように見えてくる。企業の一室も、そこは窓一つない、地下室のような空間であることに気がつく。おしゃれな空間が最後には汚い部屋になっていたように。開放感のある打ちっぱなしコンクリートの住宅から閉鎖的な恐怖の空間になるように。あまりに無機質な会議室は会議をするためだけの場所ではないのではないか、とか。セット一つとっても妙にリアルであり、意図を感じさせ、そして悪い想像をかき立ててくる。絶妙に想像力を掻き立ててくるのが匠でした、、
小宮さん、まじでお疲れ様です。
ロス(小宮有沙さん)に対してネッドが上から目線で「話がわかる人だ」みたいな接し方しているしロスもそう思わせるような立ち振る舞い。いやだね〜〜〜!どいつもこいつもやなやつ!
これが初ストレートプレイと書いてあったけど、、、かっこいいです!!!素晴らしい!こんなバケモノ俳優たちに囲まれて…ライブもこなして…ファンミまでして…SNSもマメに更新していて。。。超頑張り屋さんじゃん😭!!!!!!
平成一桁世代なんですね、通りでアチい。
自分の意見がようやく通るようになり、なんとかして得た地位を自分が「夢を見させてやった」相手からビジネスを放棄され、絶対になんとしてでも自分の詰めで巻き返してやる、と自分の腕の力だけで取り戻そうとする姿に女性として胸が苦しくなりました。そして、「この部屋から出ていけ」と言われる辛さも。
パンフ見ると「難しい話だなと思ってる」って書いてあったけど、小宮さん自身はとても聡明な方な気がする。立ち振る舞いに芯があったし、役の命が吹き込まれていた。 もっと自分なりの考えとか、聞いてみたいな〜って思ったのでとりあえず気がついたらSNS見てて、多忙さを知った次第です。お身体には気をつけて!!!!!!
イギリスヤクザ・狂気の須賀さん
ずいぶん前の007で見たロシアの殺し屋が恐ろしかったのを彷彿とさせてくる立ち振る舞い。諜報員だからヤクザではないんだけども。。ただ、パンフで「あなたの隣人ももしかしたらこういう人かもね」って思わせたいとか言っててやっぱ龍騎出身は違うなって思いました。よく俳優さんで「サイコパスの役やりたい」って聞くけど、狂気って狂気ではないように感じさせることで、無表情とか、暗いとかおかしな表情とかではなくて、「すごく普通の人間です」にいかに違和感を覚えさせるかが大切なんだろうな、と今回の須賀さんをみて思いました。すんごい怖かった。布で手拭いてるだけなのに。脳内で「最もフィジカルで…最もプリミティブで…」のセリフがよぎって、自分たちは見ているだけなのに「命取られる」って震え上がってしまったし、「あ、ダン死ぬんだ」って死んでないのに思っちゃったり。
腑抜けな波岡さんを初めて見た
波岡さんって無骨な刑事!みたいな、いかつい新聞記者!みたいな、ドスの効いたヤクザ!みたいな役、とにかく威圧高圧パワー!!!って印象だったので出てきた瞬間のナヨナヨおじさんっぷりに驚きました。奥さんには頭が上がらなくて、ローンに追いかけ回されて、もう疲れ切ってる、って感じの。。
初めて生で拝見するから前者な強気な兄なんだろうと予想していたのに、どちらかというと何者でもない弟を見下す兄かと思ったのに!そこにいたのは長く弟の才能を認め、可愛がってきた優しい兄でした。。いい意味で予想を反する波岡さんの見たことない幅を知ることができ、今後も映像作品やら何やらで見られることが非常に楽しみです。ちなみに何かのバラエティで拝見した際に芝居激アツ兄さんという印象だったので絶対辰巳くんのこと好きですよって心で語りかけてました。期待通り!!!
辰巳くん 本当に あなたはすごい
ふぉ〜ゆ〜ってハッピーな舞台が多いからこういう舞台を演じることって「芝居をやりたい、って人って感じだよねぇ」なんて受け取る人もいると思う。
私はたかだかぽつりぽつりと辰巳くんの関わる演劇を観てきただけだからもっと歴史を知る人、濃い時間を過ごしてきた人のような経験はない。
でも、そんな私でも辰巳くんの歩んできた道の中で一つ一つ身につけてきたこと 背伸びなんか感じなくて、 もちろんこの作品が身体に馴染むまで、生きる、生きていると感じさせるまで積み重ねてきた苦悩と努力と開放の繰り返しの賜物だと思う。てか辰巳くん、ctwでもAIとの共存について世界を生きてたなあ、やっぱりこの一時だけで得たものではない、ルーツのすべてが詰まっていると思いました。
英語勉強してるから英文読むことに抵抗ないだろうし原文読んだんだろうなって思ったけどやっぱ読んでて信頼。爆裂忙しいのに本当に尊敬します。
そして何よりもそんなすごさを全く思わせないのがすんごい。すんんんんごい。
だから私辰巳くんのお芝居好きなんだろうな!
それぞれの「平和」
今回紹介文でも使われている「平和への抑止力」
抑止力って、そもそも必要なのか?でも、基本的に「結果的に抑止力になってる」ってだけで、初めから抑止力にしようと思ってそのまま実現するなんてこと、ないんじゃないかな。
兄がネッドの抑止力になったのは、思い切りぶつかり、すり減るような摩擦力で抑止したから。ベタだけど、「そこに愛があるかどうか」その温度感をしっかりと4人が持ってこの作品の中に落とし込んでいたように感じられました。
また、人によってはしんどかったシーンも多かったと思う今作。
奥様を下げるようなセリフや、営業部長である女性を部屋から追い出すなど、「女性は話が通じない」的なシーンがいくつかあった。ただ、女性だけでなく「独身」「子供を持たない・持てない」である人たちにとって「子供がいないから」「子供はいいぞ」のような表現はとても残酷。子供がいたって関係ない、救いようのない考えを持つ人間はいる、ということも描いているわけで。。
それに、ラストでおしゃれな上着を羽織るネッド。虫歯だらけ、風呂も入っていない不潔な状態のネッドが綺麗なものを身につけたって、不潔さが解決するわけじゃない。
根本が解決しない限りは、建前を取り繕うだけで解決にはならない。
綺麗事の建前は、根底にある悪を隠すためだけのものでしかない、
現実からただ目を背け、臭いものに蓋をしているだけではないか。
争いがないことだけが平和ではない。
誰も救われない戦争の一辺を描きながら、
それでも「平和とは何か」を問い続ける。
私が思うネッドの救いルートは、多角的な視点を持たせること。昆虫から着想を得て、コードを作り出せるネッドならば、夢を見ているような生き方でもいい、と胸を張れるはず。
薄くていい。「なんとなくの知識」が実は人を救うのではないでしょうか。
📝最後に
見るか見ないかは選択できる。
でも何か気になるなら、軽い気持ちでなんて言いません。
「芝居みっぞ!」って意気込みで、肩ぶんまわして観ることをお勧めします。
改めて思うのは、大人でよかった、会社員でよかった、家族がいてよかった。
そして、日本に生まれ、暮らしていることはいい意味で何も知らずにいる幸せなこと。
ただ、日本からは見えない世界の情勢やこれまでを知る・考えるきっかけは必要だと思います。そうでなければ、平和ってものの大切さが薄れかねない。
最後になりましたが、これを上演するために翻訳し、セリフを叩き込み、板の上に立つための準備、そして本番。なにより、この作品を上演するために関わったすべての人に、心から拍手を贈ります。
また一つ、世界を教えてくれてサンキューサンキューで〜〜〜す!!!!
9/16・追記
パンフのモザイク感がちょっとバグっぽくも見える。
このパンフが「血の代わりに赤く染まった、がらくたではないネッドの生んだ成果物」だったらいいのにな。