いふいふほぼほぼもしもし

低燃費オタクの脳内です

武道館を前に

明日はいよいよ武道館!

めちゃくちゃわくわくする〜とファンが思うのは当然として…本人たちがずーっとわくわくしてるのがなんだかとても嬉しい。

 

そんな中、ふぉ〜ゆ〜が神社で成功祈願をするYouTubeが公開された。動画を観ながらなんとなく、私もこれまでを少し振り返った。

 

 

はじめて知った2011年の滝翼ライブ。楽しそうに盛り上げ、謎猫タイツ衣装でキメ、かと思えばかっこよく踊ってたり、連番してた友人はもちろん彼らを知っていて、わたしも「ふぉーゆー兄さん」と慕うようになる。(当時の私の表記ママ)

その後も友人の強い説得を受け2014プレゾンに行きふぉ〜ゆ〜の文字にテンションが上がり、見た目がタイプなザキさんからファンサをもらい、翌年GACHIに行き「なんでこれみんな観に来ないの?!」と思いブログを書く。

https://tanukorodesu.hatenablog.com/entry/2017/08/14/011420

 

その後も「それいゆ」を観に行ったら辰巳くんが目をバキバキにさせながらムキムキの身体でタンクトップ1枚熱演してたり、

映画を何回も観るほど好きな「タイヨウのうた」が舞台化されると聞いた際にはふぉ〜ゆ〜の辰巳くんとザキさんでるし丈一郎もいる!いえーい!と思いチケを取り、ひまわりをイメージして黄色を身につけ観劇した。

上記ともにお世辞にも満席とは言えなかった。でも、私は舞台の上に立つ辰巳くんを観て、また辰巳くんが舞台に立つところを観たいと思った。

原作映画とは違う観点の話が丁寧に描かれていたことに好感を持った私はかなり感動して、空席を埋めんとばかりの拍手をバチバチ叩いた。とてもいい顔を、誇らしげな、まっすぐな辰巳くんの目が忘れられない。

後に知ったことはいくつかある。辰巳くんのメンカラが黄色で、私は新参辰巳担のようなムーブをしていたこと、辰巳くんの目がバキバキだったのはオーディションで勝ち取った役だったこと。

それを知ることができたのは、彼らが続けてきたから。それに尽きる。

こんな私の自分語りを友人に話していたら、ふと頭の中に考えが浮かんだ。

 

ふぉ〜ゆ〜って、熟成ワインみたいだな〜

 

大事にされて、満を持しておいしいレストランで人々を楽しませる。

どんな場所で出しても愛されて、楽しまれて、ちょっと大人な雰囲気で、おしゃれで、知ってることがかっこいい。大切に飲みたくて、熟成されたことに価値があって、ドラマがある。

もちろん、快適な温室だったわけではないし、大事にされるという表現は適切ではないかもしれない。でも道なき道をかき分けて生きてきた強さ、人生を楽しむ姿勢は様々な場所を通して伝わって、そして武道館に至る。

きっと明日の先も、まだまだ楽しい未来なんだろうとわくわくする。

FNS歌謡祭が現実に

はじまりはここから……

https://x.com/fns_kayousai/status/2061915760105230518?s=46&t=RhOLmmhR-b5KzDVjdXNX7w

 

ふぉふぉふぉふぉふぉ〜ゆ〜が

FNS歌謡祭⁉️

夢かと思うほどの衝撃、でも、それを上回るよろこび。

発表された6月3日から約1ヶ月、結構、かなり、ふぉ〜ゆ〜のファンはみんなわくわくしていたと思う。(少なくとも私のTLはわくわくしていた)

そもそも、ふぉ〜ゆ〜は地上波に滅多に出ない。

4月から実は2本地上波の番組がスタートしたけれども、ひとつはテレ東の深夜。もうひとつはTOKYO MXをはじめとしたいわゆる地方局でのレギュラー番組。

わかっている、ファン以外はあまり気が付いていない。

でもそんな彼らだからこそ、やっぱりゴールデンタイムの有名な、歴史のある番組に出演することは本当に嬉しい。何より、彼らが本当に、心から楽しそうで、嬉しそうで、あー応援してて本当によかったなあと改めて思った。

 

7月1日は案外あっという間に来た。

というのもこの1ヶ月は先述した番組の放送やら4人が主演する舞台やら何やらで慌ただしく過ごしていた。(グータッチ会という接触イベントも開催されたがかなり熾烈な争いであったのと当方未参加のため割愛)

 

今日のこの蒸し暑さか、帰宅してすぐにテレビ着けて汗拭いたりなんやかんやしてたら「ど〜も〜!ふぉ〜ゆ〜でーす!」って挨拶が始まり本当に自然に「ワーッ!待って待って!」って高校生ぶりくらいにドタドタしながらテレビ前に駆け込んだ。

 

・初見感想

とにかくみんな楽しそう。

ニコニコして、こちらまでニコニコしていた。

どこかドキドキしていて、

だけど自信に満ち溢れている。

合間合間に映る相葉くんと井上アナもニコニコしてて、「わかる!!!ふぉ〜ゆ〜って観てるだけでニコニコしてくるんだよね!!!」と脳内が叫びながら行き着く間もなくピッピピッピッピー

シンバル音に気持ちよく音を当て踊る姿。

そして、彼らの弾むような軽やかなステップに、ここぞとばかりのダブルターンに、今日の蒸し暑さなんてめちゃくちゃ爽やかな夜になった。98年夏沖縄かな?生バンドのジェロマ最高だな?

あーーーたのしい!と思っていたら、あっという間に出番が終わっていた。

あまりの楽しさにその後もしばらくFNS歌謡祭を観た。HIROちゃんはかっこいいし、M!LKは熱量あってわくわくするし、モナキは正直ライバル視しているので今日はじめて観たけどデビューしたてのハングリーさから愛嬌が溢れていたし、HANAのbad girlに泣きそうになり、郷ひろみが原キーで盛れミを歌っていることに興奮した。

最近はほとんどテレビを見ていなかったけど、やっぱりテレビを観ると情熱が詰まっていて、FNS歌謡祭らしさが詰まっていて、テレビっていいなと思えた。

ひと通り観た後、TLもみんなリピしているようだったので私も見返すか〜と思い追っかけ再生をはじめた。

 

2回目

泣いた。

ようやくFNS歌謡祭に出ている!という実感が湧き、振り付けのひとつひとつ、丁寧に踊っている。続けるってやっぱり楽しいことが最終的には勝つんだろうな、今日のために、今までがあったと思うと、頑張った分だけいい笑顔になるって証明しているなあ…他にもいろいろな、とにかくいろいろなことが頭を巡って、終わった途端にすぐリピートした。

 

3回目

夏の王様原キーじゃん‼️‼️‼️‼️

びっくり。ふぉ〜ゆ〜はもともとそんなに歌がとびきり上手いわけではなかったけれど、年々、というか1年ごとにグングン、めちゃくちゃ歌がうまくなり、もはや上手いとかそういうレベルも超えている。人間の底力ももちろん感じるけど、やはりふぉ〜ゆ〜は事務所がめちゃくちゃ引き留めるくらいの才能と努力を併せ持った奇跡の4人である。安定した歌声と軽やかなダンス。経験値はもちろんあれど、あまりにもかっこよくて、いつから泣いていたかわからないほどに涙を流していた。嬉しくて泣いてしまう。不思議な感情だけど

ふぉ〜ゆ〜にはいつだって不思議な感情を抱くので今日もまた、という気持ち。

 

4回目以降

目を合わせながら踊る、というのは案外難しい。

何度かダンスの発表会に出たときに感じたのは目を合わせたいけどなかなか本番となると練習通りにいかなかったりして、目が合わない。

でもふぉ〜ゆ〜は目をよく合わせて踊る。

楽しいね、どう?楽しもう!なんだか言葉が聞こえてくるような、でも本人たちはめちゃくちゃ変なので我ら一般市民には到底わからないような言葉で語りかけている可能性もあるけれど、とにかくなんか、楽しいね!っていうのは目から伝わってくる。

そしてその目は本人たちだけでなくなぜかテレビカメラにも向けられる。

卵が先か鶏が先か。

アイドルが先か俳優が先か。

元々はアイドルで始まったキャリアの4人。

その後もベースを大切に持ちつつ長くミュージカルや舞台で積み重ねた演劇俳優としての経験が言葉に力を、言葉を伝えるための滑舌を、届けるための指先や視線の動きを、ぎゅっと詰め込んだ4分間は何度見ても飽きなくて、どんどん好きが降り積もって、この気持ちを書き残したくなり、今に至る。

 

そんななか今気がついたことを最後にひとつ。背景、序盤は謎のタージマハル的な宮殿だったがアハ体験のように景色は変わり、その後4色の虹がかかっている。うれしい。

サイコーSUMMER、

はっじまっりまーーーーす‼️

 

超会議行ってみた

それは突然やってきた。

「ニッコニコふぉ〜ゆ〜、超会議に出演決定!」と発表されたのが4月9日(たぶん)

たまたまその日だけ空いていたので、なんんだかわからないけどとりあえず行こうと決めました。

何時に起きるとか、どんな装備が必要なのか、とかそんなのものはよくわからない。

でも、なんとなく聞いたことがある「超会議」なるものに行けるきっかけができたのだから行こうと思ったのです。

 

そもそもふぉ〜ゆ〜が2019年から5年?くらい続けていたLINEライブが終わり、ニコニコチャンネル+に場所を変えて配信するようになったときから、コメントが流れていったり、中山優馬団幕がはりめぐさりたりと楽しんでいながらもニコニコをひらくのはふぉ〜ゆ〜の配信の、そのチャンネルだけがほとんどでたまに個人的に好きなQuiz knockの鶴ちゃん番組を見る以外はニコニコを全然見ていません。

でも、超会議出演が発表されたとき無性にわくわくしたんです。

コミケとか行ってみたいけど、ひやかしになりそうで中途半端なきもちでは行けないし、なにより何かほしいものがあるのかと聞かれたら特になにもない。

だから、いつもコスプレタグを見てはおもしろいなあ、とTLを眺めるのみ。でも、参加できる権利が与えられたと思えて、正直スケジュールは濃い1週間だったので緊張したが、あの1日はとにかく感動して、今でも余韻にひたるいい1日でした。

前置きは長くなったけれど、記録のためにいろいろと書き残したいと思いま〜す!

 

・購入チケットについて

 ビビって優先チケット(6,000円)を買ったが、優先ではなくてもよかったっぽい(ガーン!)

というのも、これまでの先輩方の記録から7時には駅に到着するスケジュールで挑んだのだが、入場後一般チケット勢と入場がほぼ変わらず、目的の整理券もゲットできました。

ただ、こう書くとじゃあ一般チケでいいじゃん!と思われそうだけど、一般チケでわたしが入場したわけではないから、個人的には優先チケをおすすめします。

入場口があとちょっと!ってところで待機できるし、それによってかなり安心感がある。それに、最終的に出展などにかなり満足しているので、高めのチケットにしておいてよかったです。お布施。

 

・入場までの話

駅降りてメッセまでは人の流れもあり、スタッフさんもかなり立っているので迷うことはなかったです。

7時5分ごろ 海浜幕張駅のデイリーヤマザキ前を通過

7時51分 展示ホール2前にて座って待機開始。

全然場所がわからない\(^o^)/

 

ちなみに基本みんな座って待機するので、小さいおりたたみイスとかおりたたみ座布団があるといいです。レジャーシートだとちょっと無駄なスペースをとりそうで憚られたので、イスか座布団がおすすめ。ピクニックみたいで、木々を眺めながらぼ〜っとできて楽しかったです。

 

また、座ることを想定して詰めすぎない場所に腰を下ろすように。短いスカートを履くなら隠せるように上着とか膝掛けとかあるとなおよしです。

待っている間はコスプレした人たちが普通にその辺を歩いていて、(特にネタ系のひとたち)「コミケのタグで見る人たちだ!!!!」と感動しました。

あと、日焼け気になるひとは日焼けどめ持ってるとよしです。ただ日光はかなり気持ちいいです。

トイレも同伴者がいれば交代制、ひとりでも荷物置いてトイレ行ってるひといました!

9時45分くらいには立ち上がって移動が始まったと思うので、2時間半くらい待つ事にはなりますが、友人と話していたらあっという間中山優馬。

周りのひとは寝てたり、漫画読んでたり、様々。穏やかでのんびりした時間を過ごせて、朝活だな〜って感じでした。

そういえば腰を据えて座る前に荷物検査があるのですが、その後会場全体図を紙でいただけるので導線の確認を友人としていました。

正直わたしは場所を全然理解していなかったので友人に感謝。

そして、、入場直前に不安だね、と会話する我々に順番を代わってくださったお姉さん、本当にありがとうございました!無事に整理券取れました😭

お姉さんが今後全てのグッズを手にし、全ての現場で神席を掴み、健康で、美味しいものに恵まれ、住まいも仕事も心理的安全性ばり高で過ごせますように!

 

・入場のとき

狙っていた入場口ではありませんでしたが、とにかく人が少ない場所を選んで目的地に向かうのがよしです!

シャッターが開く瞬間とかテンション上がるし、生演奏で盛りあげてくれるのでかなりたのしいです。(好きすぎて滅とか演奏してました、アガる)あといろんな人がディズニーみたいに手を振ってくれます。たのしい。

入り口ガチャはうまく行きませんしでしたが、世界記録レベルの早歩きで整理券場所に向かって2列目を取れましたので入り口でがっかりしたり、心配になる必要はないです!

 

・整理券について

リストバンドで配布、その場でスタッフが付けてくれます(そのため席交換とか一切できません、運です!)

席は前列ごとに先着。でも座る場所は番号がランダムでした。ただ、友人との連番はできますので友達同士で席が離れることはなかったです!

言うても前列でなくても100名規模なのでどこでも神席。

イベントは14時からなので、1時間前の13時から着席できます。

※リストバンドはこんな感じ。設営は別配信のものです。

 

・立ち見について

席なくてもいいや〜とか、観られたら、でいいや!な方々は立ち見でも十分たのしめます!

14時直前くらいで柵前が埋まるかな〜って感じだったので、席不要なら一般チケでも大丈夫だと思います🙆‍♀️

宮田くんもちらっと観てみようと待機したのですが、直前でも後方の立ち見(見やすい場所)が確保できました。

会場にいる人のほとんどがいい意味で男性アイドルにそんなに興味がない感じがするので、本当に平和です🕊️

 

・体調管理について

結構歩くしちょっと暑いので水分補給は必須!

あと、こまめに休憩したほうがいいです。

ちなみに我々は整理券をゲットしていったん退場、駅近くのベローチェでモーニングしてゆっくり過ごしました。入場すぐだとフードコートエリアは開いていてもメッセのレストランも空いてないし、天気がよかったので外の空気を いったん吸っておくと体力が温存される気がしました💡

自販機はめちゃくちゃあるので飲み物はそんなに心配しなくても大丈夫ですが、だからこそ意識して水分補給がおすすめです!

 

・トイレについて

割とどこでも入りやすそうでした。クリエほど充実してないけど、帝劇ほどは待たない。でもあらかじめ、とか早めに行っておいたほうがよしです。とにかく会場が広いので、、、

 

・ブースの思い出

私自身が楽しんできたニコニコってかなり少ない。

・はるしげのバイオ実況

・ゲッダン

・今田農地のカナダ⭐︎レモン

・テレ東版と東映版の遊戯が戦う動画

…覚えてる範囲でこのくらい。

ボカロは「脱げばいいってもんじゃない」意外全然聞いたことなかったし踊ってみたも見てないしとにかく見てないもののほうが圧倒的に多い。

それでも超会議はとても楽しかった。誰かが言っていたけど、とてもいい意味で文化祭のような世界だった。クオリティがそれぞれ高いのに、様々なブースに顔を出しやすい。みんな見ていきな〜立ち去ってもいいよ〜みたいな。

そして、リアルニコニコ動画だった。タグがついていないだけでみんなの心の声が頭の上にコメントが浮かぶような、「ほ〜」とか「ええやん」「なんこれ」みたいな言葉が頭に浮かんでは流れていく。

歩いているだけで、ニコニコ動画のコメントの一部になったような気持ちになった。

誰かに注目をされるわけではない、当たり前のようにいる1人として普通に歩いて、なんだかそれがとても心地よかった。

 

・踊ってみた

私は3年ほど前からダンスを始め、踊りとなるとなんでも触れたい楽しみたいというマインドなこの頃。踊ってみたはあまり見たことがなかったのですが、せっかくの機会なので遠くから座って2組くらいをじっくり見ました。

いや〜〜良い!好きな音楽に身体を乗せて、いわゆるダンスのコンテストとは違う空気感で、、個人的には先日雅楽を鑑賞したからか、雅楽の舞に通じるものを感じました。何か願いをこめて音のままに身体を預けるような部分。だけど雅楽とは違って自分の中にあるものを解放するような感じ。あれだけの人の前で踊るってとても緊張するはずなのに出番が終わるとみんな恥ずかしそうにしていたり、楽しかった!と口々に発していて踊るってやっぱ最高だな〜と自分でも思ってたよりしみじみ、感動しました。

 

・演奏してみた

友人に誘われて見てみたのですが、やっぱり生の音はいい、楽しい!曲は知らないものでしたが行く途中に見かけたエレクトーンがまさに演奏されてたり電子ではあってもあのドラムの響きとか。何より周りの人たちで手拍子したり音を楽しむあの空間に心が高揚するのを感じました。

隣で演奏しようとしている人たちが楽器抱えて列を成しているのもよかった。コスプレして演奏してる人もいたし、それぞれの表現のすべてがそこにあって、心から自分の好きが体現されてて、それもまたじーんときました。

メッセまで大荷物で…お疲れ様です、勝手に楽しませていただきました!なんかすごく元気になりました!本当にありがとうございます!

 

・藤田ニコルプロデュースのパチスロ屋

タダで当たりが体験できると知りいい機会だし行ってみよう!と30分並びました。めちゃくちゃ初心者向け(我々然り)の風貌なのにほぼ経験者が多くてパチスロ人口の多さに驚き。

私は無意識にスロットを選び打ってみたのですが……本当にスロット打ちの才能がなく、、、どこ見たらいいか分からず………演出に追いつけず………でも経験したことないことを経験できてめちゃくちゃ楽しかったです!教えてくれたスタッフの方が当たり演出にアドレナリンバキバキしててよかった。にこるんありがとう。

Her lip toみたいでかわいかった♪

 

・自衛隊展示

今この状況だからこそどんな展示なのか実際に見よう!と見てみました。

サラ〜っと観た程度ですが、災害救助の時に使用されるボートとか、図書館戦争で出てくるような車とか偵察用のバイクとか。人を救う、レスキューとしての色が強いと私としては受け取れ…自然災害の多い日本という国で、ありがたいことに自分は全く見たことがないものばかりで、立ち去る時つい「いつもありがと〜」って言いながら後にしました。

 

・盆踊り

人がドカーンと集まるイメージが強かったのですが、ゲストは全く居ない、のほほんとした盆踊りに飛び入りしてみました。

我々含め、盆踊りしてるね〜とぽつぽつと寄って、いつの間にか列を成し、見よう見まねで夏祭りで聴くような音に身を任せると、ああ、平和ってこういうことだな〜ってなんだか無性にじーんときてしまいました。「共に楽しむ」っていわゆる幸子!!!!!みたいなお祭り大騒ぎもそうだし、のんびり踊ることも含まれる。

それぞれの楽しいが共存して、そしてまたコメントのように流れていくのが心地よかったです。

もし来年こそは超会議!という方がいれば、ぜひ盆踊りしてください。ぐるぐる歩くだけでも楽しいです、おすすめ!

 

・人とリアルがもたらすもの

ネット発祥のイベントなのに、はじめから終わりまで人のぬくもりを感じる超会議だった。

メッセへの道を示す看板のお姉さん、狭い道で道を譲ってくれたお兄さん、入場前の女神のような優しさのお姉さん。生演奏、手を振れば振替してくれる夢の国のような世界。床も天井もグレーなのに、無機質的な空間ではなく大きな力で守られるような安心感。来るもの拒まず、去るもの追わず。

ニコ動のコメントが無機質なようで面白くて楽しくて人間臭さが溢れるように、自分自信がコメントになって流れていく。

なりたい自分の装いで、いつもの自分で、好きを表現した姿で歩き、なんでもない自分のような、でも自分が自分であることを感じながら、自分自身の心のままに生きることが許される世界でした。

帰りがけ、「ここから現実」とカンペを掲げた人たちを横目に会場を後にして、翌日以降は「超会議3日目です」なんてユーモアを交えまたインターネット世界へ自らを納めていく様までが超会議、余韻と後味がこんなにも素晴らしいとは。。

今日も、明日も、通り過ぎていく日々、超最高!

 

ぼんやりと余白とほんわほんわ

恥ずかしながら最近、病児保育という制度を知った。

かぜをひいた幼児を医療機関が預かる制度である。

予約をしてもホームページに書いていない必要書類や、そもそも予約ができないなど、なかなか苦労の多い制度であると感じる。

想像でしかないけど、自分の子どもが熱を出して、辛そうで、でも仕事をこの前も子どもの風邪で休んだから仕事行きたくて。1人ならまだしも、兄弟だったり双子だったりしたらもうバタバタだろうし、冷静さはなくなっていらいらする自分が嫌になったりもするだろうし、、

とにかく、子どもを育てるということによるみえない世界や心情は計り知れない。

私にはこどもはいない。でも、友人や親戚の子どもと街に繰り出すと、生きづらい世の中だとよく思う。そして職場で子育てに奮闘する人の姿を見ると、自分にできることはなんだろうと思う。

(まあこの世にはもやっとさせてしまう人もいるだろうから、あくまでわたしの身のまわりの話)

 

そんな中でわたしは社会にケチをつける、というよりもあらためて【想像力】が特に今の時代にたいせつだと思うことしばしば。

でも、想像力ってなんだか偉そうな字面だなあ。

・・・ほんわほんわ としましょう。

誰に届くかはわからないけど、私から見える視点を記しておきたい。

 

👶例えば、ベビーカーについて

5年くらい前までは、「冬は寒そうだし、なんでどこでもベビーカーなんだろう、だっこでなんとかならないのかな」と思っていた、本当に申し訳ない。

年齢問わず弱りきった腰に10キロの米を毎日変な体制で持たせながらオムツ(大体5個以上。軽いがかさばる)・おしり拭き・ゴミ袋・おやつ・赤ちゃん用ごはん(パンやバナナパウチの離乳食)・飲み物(水とか麦茶とか)を、抱えて日中歩き回れるだろうか。

いや、できない。

少なくともこのスタイルが3年くらいは続くと考えるととてもじゃないけど現実的ではない。

ベビーカーを使ってくれ。

ただ、むやみに「だから子育てしているひと以外はベビーカーにもっとやさしくしてください!」・・・とも言い切れない。

確かに、単純に性根がお腐り遊ばせている方もいるとは思う。でも、割と世界は結構やさしい。大体は。

ただ、その日は無性にイライラしていて、とか嫌なことがあった、とか虫のいどころがわるい人とたまたまぶつかってしまう、なんてことがあるだろう。

実際、子育て世代をターゲットにしたショッピングモールで道が広いのに!他にも通路があるのに!ベビーカー動くより単身の身軽なおとなが動けばいいのに!やけにベビーカーに村を焼かれたように邪魔だよと言わんばかりの視線と煽りをする人に出会ったことがある。

もしくはベビーカーVSベビーカーなこともある。

そんな時は大体わたしは脳内で一旦譲歩を取る。そして、ちょっと相手にた対してほんわほんわしてみる。このようにホンワホンワ〜と、頭に浮かべることはベビーカー問題、はたまたさまざまな問題の根っこなのでは?と思う。

 

たぶん私が譲歩できるのも、たまたまその一日だけベビーカーを押しているから。

毎日暴れる10キロ(命あり)を抱えて、ご飯食べさせて、おむつ取り替えて、泣いて、喚かれて、うまくいかないことばかりで、世間の目を気にしてしまう日もあったりして。そんな日々を過ごしていたら、たぶん、譲歩できない。うまく考えが回らないと思う。

考えすぎだよ、といわれることもあるけれど考えるって結構楽しいし、だからこそ時に頭を空っぽにして夢詰め込んだりするのが楽しいんだよなあ〜

 

☁️ことばについて

ホンワホンワと考えることは、楽しい。

例えば楽しい、好き、感動した___を、難しい言葉でなくても自分の思ったままの言葉で表現してみるとか。Twitterはその表現の宝庫だと思う。

私はあまり 詩的な表現とかエモな感じより例えば、しっぽビタンビタン!とか内心さっぽろ雪まつり、とか脳を使ってるんだか使ってないんだかみたいな表現が好きだし楽しい。

でも、しぬ、とか横転、とか極端な表現がバズりやすいことがわたしは怖い。

確かにわかりやすいし、短い文章でニュアンスを伝えやすく、トレンドがあっておもしろくておどけた感じが伝えやすいのだと思う。きっといいねも集まるし。実際伝わるし。私も死にそうとか殺すとか使ってたし、頭に浮かぶときはある。

でも、しぬ・横転・殺す・・・などを反射的に世界に送り出す前に、SNSのように自分の手で待ったをかけられるツールなら、ちょっと頭をホンワホンワさせてなんかもっと面白い表現を生み出せる。

なにより、しぬ なんて言葉が当たり前のように使われることで、死ね も軽くなる気がする。それに、極端な表現はなんだか「白黒はっきりつけたがる」ようにも思えて、もったいないなあ、と思う。

もちろん、刺激的だったりパンチの強い言葉が流行するのは今にはじまったことではない。

ただ、日本語には漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字、絵文字。さまざまに使い分けることで、可能性が無限で、とてつもなくワクワクする言語のはず、とまたいろいろホンワホンワと思いが巡る。

 

📕ホンワホンワのすゝめ

現代人は忙しい。しかたない、たのしいものは多すぎるし、情報がとんでもない数で、どこもかしこも情報がギチギチ。

だからこそコスパが問われて、簡潔に・直感的に伝わるものが好まれるのは当然だと思う。

でも、人間には余白や行間が色になって、人生のグラデーションになる。たのしい時間もあるし、嫌な時間もある。多くの人に好まれる面もあるし、好感度は高くない面も少なからずある。

決して白か黒かなんて、言い切れない。

空で例えるならば、夜空も綺麗だし青空もきれい。夜空を恐ろしいと思う人もいれば、青空がさみしいと思う時もある。そして、夕暮れの青と赤の境目は言い表せない美しさがある。

音楽、漫画、映画、舞台、ドラマ、本。人間が生み出す文化にはそのグラデーションを自分の人生よりも多く見つけられる世界がごろごろ転がってる。うまくことばにできなくても、ほんわほんわ頭にうかべる時間を、私は大切にしていきたい。

 

炎の風景ネタバレしかない感想文〜the landscape with weapon 2025 in Japan

7月12日(金)夜。雨が降ったり止んだり、気圧爆下がりの気温も爆下がりなどんよりした空の下。

終演後にTwitter(まだ旧名称使ってるオタク)でざわざわざわついていましたよね〜〜〜
「炎の風景(原題:THE LANDSCAPE WITH WEAPON)」を観て、噛み締めながら、溢れそうなほどのエネルギーを受け止めながら、頭の中を整理するので、大手町の空気がやけに美味しかった。

観劇を悩む人の中には「戦争ものかあ…重い内容だよな…専門用語?難しそう…」と腰が重くなる気持ちがあると思います、

わ、わかります!!!!
でもこの作品が東京で上演されたこと、それを実現させた多くの人の思いが、もっと多くの人に届いてほしい。

多分今回、開演時間を理由に断念する人も多いと思うのですが、少しでもお金と時間が許すのであれば、突き動かされるままに大手町よみうりホールに向かって欲しい、月曜も休みだし!21日まで大手町でやってるし!神戸もあるし!

 

作品の印象:巻いた種はすべてひっくり返す

この作品、ネタバレにならない程度で言うなら「巻いた種は全部ひっくり返していく」スタイル。
表現方法が秀逸で、何よりも「人間の力を信じて作られている」ことが伝わってきます。

パンフにもあるように、登場人物それぞれが「前後の人生」を学び、想像し、背負った状態で登場する。全編通してここまで入り込めたのは、ひとりひとりが前後の人生を歩んできた/いるように思えたから。見てもいない兄弟の昔からの景色が見えてきたり、契約のシーンが見えたり。だからこそ見えない世界に恐怖と不安を感じる。

ここまで人に対する不信感を浮き彫りにする舞台でありながら、「人間の力」を信じた上で成り立つこの作品。それは演じる側も、板の上だけでなく関わる作り手も、そして、観る側も。

 

観ることの意味

この作品、決して難解な作品ではない。と思っています。「ふーん」「嫌な言い方だな」「怖いな」と、自分の視点で受け取れる。映画を観るように、座って、耳と目で受け止める。

それに、専門用語は飾りでしかなく、人の心を打つためにあるわけじゃないし、賞のために演じているのではない。
ひとりひとりが登場人物のワンシーンを見せ、伝えてくる。そこにあるのは現実で、エネルギーをきっと自然と感じ取れるはず。

さあ!ネタバレしっていくよ〜〜〜ん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネッドという人物:誰よりも「人間らしく」苦悩し、抗う。

ネッドは、自分を【物凄く賢い】と思っている。

それに、都会的で、おしゃれで、多分かっこいいとも思っている。それに対し、兄・ダンのことをダサいと思っていて、「あんなところにJeep?!」と笑ったり。トスカーナに別荘を持つところとか、決して都会的ではない服装とか。なんだか王道すぎて、ダサいって思っているんだろう。そして、兄と比べて、自分を誇りに思ってるんだろうな。部屋の椅子がフリッツハンセンみたいでおしゃれだし、高そうな布使ってる(言い方)パジャマ。家も日本でいうところのタワマンに住んでる、みたいなことなんだろう。

兄の妻・反戦的なメアリーにも皮肉たっぷりだし、母のことは1番馬鹿だと思って見下している。そう、かなりの女性蔑視。(まあ正直ネッドだけでなく作品全体的に女性の描かれ方が2003年2007年って感じですが。。

お金があることに、稼ぐことができる自分に喜んでいて、誇示して、自分を理解してもらいたい、認めて欲しい。そんなことが一つ一つから見て取れる。 端的にいうと、モテようとしてる感じ。

でも、ローンは組めない。車も買えない。まだちょっとお金をもらった程度だから。

銀行からすれば、社会的信用はまだ低い。ものすごいものを作ろうとしているのに、「実物」がないから評価されない。自分が見下している歯医者の兄に対し、ローンも組めないネッド。そして、この後も複数の人間から「子どもは?」と聞かれる。妻にも去られ、もはや家庭を失ったネッドは独身貴族のように立ち振る舞う。しかし、社会的強者になれない。なっていない。だからこそ社会的には信用度が高い兄と自分を比較して、安心したいんだろうと思う。

一方で、開発の話を兄にしたのは、きっと見下しながらも兄は多少賢い人間だ、と認めていたからだと思う。それはきっと兄が自分の才能を認めてくれていたから。 妻と行為をできないと言いつつも、1人気持ちよくなるだけのわがままと思わせて、実はネッドなりに妻を守る抑止力だったのかもしれない。案外、ネッドはネッドなりの愛と思いやりを持っていたのではないだろうか。

ただ、ネッドは自分をまともだと思っている。「自分の開発したシステムこそが平和を維持する手段だ」と信じて疑わない。「絶対に狂うことがない」「攻撃は機械が間違えるものではない」「ミスするとしたら人間のせい」____そんな自分を兄・ダンが頭を冷やそうとし、力ずくで殴りかかってでも間違いであると訴えてくる。

そして、その「抑止力」のため、という信念は、企業と国家による建前の刷り込みだったと2幕で判明する。

「実物」にこだわる理由

ネッドが実物にこだわった理由は、2つあると思われまして、、

1・認めてもらうため。

家は賃貸で、安定した給料も、家庭も、子どももいない。そんな仮説にまみれた自分という存在を証明するために、「3次元に現れる成果物」を欲していたのではないだろうか。きっとネッドは賢いからこそ、自分が空想的なんだと気がついているはずだし。。

2・潜在的に本能が求めている

ネッドが自分のシステムから派生して想定される兵器への話をするとき、昆虫から着想を得て話すとき。博物館で見たおもちゃの話をするとき。いずれも自分の中に設計図が作られて、現実のあと一歩まで脳内で生まれる。システムは割と成果物が得られやすいから、自分の想像した「もの」が作動する。でも、実物となると生産などシステムの実現よりも高いハードルになる。

きっと、自分が描いた「実現できるかわからない最大限の空想物」が現実になるかも、と思った時に感じたことのない興奮があったのだと思う。おそらくネッドが契約書にサインしたのはお金だけが理由ではない。社会的地位を得るためだけでもない。作り手として、クリエイターとして、それがたとえ人の命を奪うものであったとしても「見てみたい」という欲求があったのだと思う。

ちなみに、このネッドの思考に近いことを映画・アルキメデスの大戦で見て、戦争反対を掲げながらも巨大戦艦を見てみたいと思ってしまう菅田将暉や軍艦を作らせまいとするはずの舘ひろし演じる山本五十六が心の底で戦いを望む感情が沸き上がってしまった自分への恐怖を感じるシーンが描かれていていたことをふと思い出しました。映画ではその後は描かれず、史実を元に結果を知るわけですが、、ネッドは根底にある自分の中の狂気に気がついたとき、何が抑止力になったのか。いつ、自分の中に狂気があると、自覚したのか。

兄との関係性:愛という抑止力

兄・ダンはネッドを気遣いながらも、戦争に加担していることに絶望する。
ダンは「子ども」「家庭」が抑止力になると信じているが、ネッドには言葉が届くどころか、自分の考えを否定され、突き放される。ダンもまた、ネッドに言葉と社会の刃を突きつけているのだ。ネッドは子どもがいない・妻がいない(別居)など社会から孤立している寂しさを抱えている。

そんなネッドに対し、ダンはついに前半の終わりに表現を裏を突いてくる。ネッドを理解するどころか、狂っていると叫ぶ。そして、「自分は少なくとも人を傷つけていない」と弟の信念である仕事に潜む大きな欠陥__命を奪いうるもの・争いを悪化させうるもの であることを指摘する。

ただ、兄弟の議論が愛に変わる瞬間があり、そこに人間らしさが垣間見えた。1幕の序盤、 兄が顔のどこにボトックスを打ったのか見せてと、せがむ姿。兄もネッドがこのままだったらいいのにと思ったことだろう。

この作品の物理的見せ場である兄弟喧嘩でテッドは愛を感じ、抑止力とするのであれば兵器ではなく、「議論が大事」だと気がつくわけですが…(おかえり)

水バシャ!の通り、国と会社の枠組みの中では、覆水盆に返らず。もう変えることのできないレールを進むしかない____

ロボットのように扱われる人間

ネッドは、純粋で有能なエンジニアとして「兵器」と「金」のため、利用される存在となっていた。自分がスゴイと評価されたのではない、自分が金に、権力になりそうな道具だと思われたのだと。

…これは舞台では描かれていない、想像の話だけど多額の現金と「自分の欲しい言葉をかけてくれる人たち」に乗せられるがまま、契約書にサインをした。しかしロンは最初からマージン、金でのみ見ていた。だから、登場した時もどこか薄っぺらくて、敬意は感じられなくて、でもやけにネッドが喜びそうな言葉だけを選んで伝えてくることに観客は違和感を感じた。とても上っ面、テッドを乗せるためだけのおべんちゃらだと透けてとれるが、口がうまいから契約時も同じように乗せて契約させたのだろう。そして、ネッドは「大金を生む機械」のように扱われる。その後、乗せられていることに気がついているネッドは「理解していない」人に頼むことはできない!と反旗を上げる。しかし、ネッドが自我を持ち始めた瞬間から、国と大企業にとって「都合のいい存在」ではなくなっていく。

見ているこちらからしたら、他に代わりなんて考えられない、かけがえのない天才エンジニアのネッド。だけど彼らからしたら「ただ言うことを聞いてくれるドル箱」でしかない。

その後自爆テロの話が出るが、利用されるのは特に信仰心があるわけでもない、「自我を持たない者」。命の尊さが使い捨てられていく残酷さ。

何が恐ろしいって、ロンは女性であり、子育てをしながらもこの思考であること。赤ちゃんは、寝るのも起きるのも、何をするにもなんとか命を繋いで、大きくなっていく。そんなかけがえのない命が、ぽいっと捨てられていくのである。

狂気と正義の境界

ネッドも始まる前からすでに健康な思考ではなかったことも判明する。どんどんと誰の発言も信用できない方向へ向かっていく____

今回観劇して驚いたのは、2幕からのとんでもサイコスリラー展開。パンフを読んで須賀さん演じるブルックスが「追い詰めるの楽しそう」と評されていながらも、2幕始まっても別にそんな雰囲気なくて、「え〜〜何?もうここからネッドが大暴れして終わりなんじゃないの〜?」くらいの予想だったわけですが・・・ブルックスが登場した瞬間、「あ、生きて帰れないかも」とストーリーが大きく揺れ動く。登場とともに自分より格上と気がつき威嚇するネッドに対し、睨みつける蛇の如く「言ってる意味わかるかな?」高圧の神すぎる表現。。「自殺もいいな」と呟いてみたり、笑顔で接してきたり、決して自分の発言を揺るがせなかったり。全ての表現に不安を感じさせ、少しの綻びに命の危機を持たせる。

もはや噛むことも演出の一部だったのかもしれない。と思うほど、言葉が詰まることで、実はずっと前から精神的な追い詰めされていたのでは、を表現していたように感じた。

そしてラスト。堕落したネッドにダンは寄り添う。子供たちもお前を愛している、と。でも1幕では微笑ましかった、顔を覗き込んだり追いかけ回していたことさえ、なんなら直前まで微笑したかった歯を見せるシーンでさも認知の歪みで恐怖に、不信に変わってしまう。居場所をブルックスに伝えた兄は、自然と身につけたネッドの転がし方を身につけ自分なりの抑止力としているのかもしれない。 外出しようと喜び、準備をするネッド。しかし兄の顔は曇り続けていた……… 

がらくたへの恐怖

ネッドは解雇される際にバグを残す。ガラクタ呼ばわりされるネッドの発明。そして、がらくたのようになるテッド。いや、もっと前から、自分ががらくたであると思っていたのかもしれない。ネッドは頑なにもう知られているであろう自分の症状を隠した。きっと鬱とか、そんなところだろう。きっと、怖かったんだと思う。ずっと何にもなれない、何も手元にない自分が。理解者が現れないことが。夢の中で生き続けてきた自分が兵器で才能を見出されるとは夢にも思わなかっただろう。せっかく掴みかけた「普通」のスタートラインの中で見つけてしまった「バグ」で、社会からガラクタ扱いされることを誰よりも恐れていたから、おしゃれで、都会的で、至って普通の、誰にでも愛される人間でありたいと願っていたのかなあと思う。

翻訳について

イスラエルに友人だっているんだ」というネッドの発言。今でこそ戦禍の中心だけれども、2003年2007年の頃はまだ「IT先進国」というニュアンスだったのかな?と思う。もちろん、不安定な情勢ではあったと思うから今とニュアンスは近いと思うけど、、だから、ネッドのいう「イスラエルに行ったことはないけど友達がいる」っていうのは、メル友みたいな(9/14追記:Facebookとか)関係性のエンジニア仲間がいたのかな、とここまでは観劇前の知識で思ったこと。でも、イスラエルってかなり軍事的な背景を持って発展したIT大国だったようで、、

ともすればネッドが「イスラエルに友人がいる」というのはかなり要注意というか、その一言だけで推察することが多くなるというか。。

そんな種まきを原作からわかりやすく届けるニュアンス、翻訳の絶妙さ。
翻訳劇だからこその「海外の話だ」って感じさせる言葉選びで、他文化の空気を感じさせる。
小川さんが翻訳したTake me outも観劇したので通じるものを感じたし、それに舞台であることも踏まえるのだから、皮肉がコメディにならないようなバランス。会話から滲み出る文化の表現がとてもうまい人なんだなって2作品を通して確信しました。

セットについて

シンプルだけど洗練された部屋、そこからそれが掴めない、空虚のような資産であるように見えてくる。企業の一室も、そこは窓一つない、地下室のような空間であることに気がつく。おしゃれな空間が最後には汚い部屋になっていたように。開放感のある打ちっぱなしコンクリートの住宅から閉鎖的な恐怖の空間になるように。あまりに無機質な会議室は会議をするためだけの場所ではないのではないか、とか。セット一つとっても妙にリアルであり、意図を感じさせ、そして悪い想像をかき立ててくる。絶妙に想像力を掻き立ててくるのが匠でした、、

小宮さん、まじでお疲れ様です。

ロス(小宮有沙さん)に対してネッドが上から目線で「話がわかる人だ」みたいな接し方しているしロスもそう思わせるような立ち振る舞い。いやだね〜〜〜!どいつもこいつもやなやつ!

これが初ストレートプレイと書いてあったけど、、、かっこいいです!!!素晴らしい!こんなバケモノ俳優たちに囲まれて…ライブもこなして…ファンミまでして…SNSもマメに更新していて。。。超頑張り屋さんじゃん😭!!!!!!

平成一桁世代なんですね、通りでアチい。

自分の意見がようやく通るようになり、なんとかして得た地位を自分が「夢を見させてやった」相手からビジネスを放棄され、絶対になんとしてでも自分の詰めで巻き返してやる、と自分の腕の力だけで取り戻そうとする姿に女性として胸が苦しくなりました。そして、「この部屋から出ていけ」と言われる辛さも。

パンフ見ると「難しい話だなと思ってる」って書いてあったけど、小宮さん自身はとても聡明な方な気がする。立ち振る舞いに芯があったし、役の命が吹き込まれていた。 もっと自分なりの考えとか、聞いてみたいな〜って思ったのでとりあえず気がついたらSNS見てて、多忙さを知った次第です。お身体には気をつけて!!!!!!

 

イギリスヤクザ・狂気の須賀さん

ずいぶん前の007で見たロシアの殺し屋が恐ろしかったのを彷彿とさせてくる立ち振る舞い。諜報員だからヤクザではないんだけども。。ただ、パンフで「あなたの隣人ももしかしたらこういう人かもね」って思わせたいとか言っててやっぱ龍騎出身は違うなって思いました。よく俳優さんで「サイコパスの役やりたい」って聞くけど、狂気って狂気ではないように感じさせることで、無表情とか、暗いとかおかしな表情とかではなくて、「すごく普通の人間です」にいかに違和感を覚えさせるかが大切なんだろうな、と今回の須賀さんをみて思いました。すんごい怖かった。布で手拭いてるだけなのに。脳内で「最もフィジカルで…最もプリミティブで…」のセリフがよぎって、自分たちは見ているだけなのに「命取られる」って震え上がってしまったし、「あ、ダン死ぬんだ」って死んでないのに思っちゃったり。

腑抜けな波岡さんを初めて見た

波岡さんって無骨な刑事!みたいな、いかつい新聞記者!みたいな、ドスの効いたヤクザ!みたいな役、とにかく威圧高圧パワー!!!って印象だったので出てきた瞬間のナヨナヨおじさんっぷりに驚きました。奥さんには頭が上がらなくて、ローンに追いかけ回されて、もう疲れ切ってる、って感じの。。

初めて生で拝見するから前者な強気な兄なんだろうと予想していたのに、どちらかというと何者でもない弟を見下す兄かと思ったのに!そこにいたのは長く弟の才能を認め、可愛がってきた優しい兄でした。。いい意味で予想を反する波岡さんの見たことない幅を知ることができ、今後も映像作品やら何やらで見られることが非常に楽しみです。ちなみに何かのバラエティで拝見した際に芝居激アツ兄さんという印象だったので絶対辰巳くんのこと好きですよって心で語りかけてました。期待通り!!!

辰巳くん 本当に あなたはすごい

ふぉ〜ゆ〜ってハッピーな舞台が多いからこういう舞台を演じることって「芝居をやりたい、って人って感じだよねぇ」なんて受け取る人もいると思う。

私はたかだかぽつりぽつりと辰巳くんの関わる演劇を観てきただけだからもっと歴史を知る人、濃い時間を過ごしてきた人のような経験はない。

でも、そんな私でも辰巳くんの歩んできた道の中で一つ一つ身につけてきたこと 背伸びなんか感じなくて、 もちろんこの作品が身体に馴染むまで、生きる、生きていると感じさせるまで積み重ねてきた苦悩と努力と開放の繰り返しの賜物だと思う。てか辰巳くん、ctwでもAIとの共存について世界を生きてたなあ、やっぱりこの一時だけで得たものではない、ルーツのすべてが詰まっていると思いました。

英語勉強してるから英文読むことに抵抗ないだろうし原文読んだんだろうなって思ったけどやっぱ読んでて信頼。爆裂忙しいのに本当に尊敬します。

そして何よりもそんなすごさを全く思わせないのがすんごい。すんんんんごい。

だから私辰巳くんのお芝居好きなんだろうな!

 

それぞれの「平和」

今回紹介文でも使われている「平和への抑止力」

抑止力って、そもそも必要なのか?でも、基本的に「結果的に抑止力になってる」ってだけで、初めから抑止力にしようと思ってそのまま実現するなんてこと、ないんじゃないかな。

兄がネッドの抑止力になったのは、思い切りぶつかり、すり減るような摩擦力で抑止したから。ベタだけど、「そこに愛があるかどうか」その温度感をしっかりと4人が持ってこの作品の中に落とし込んでいたように感じられました。

また、人によってはしんどかったシーンも多かったと思う今作。

奥様を下げるようなセリフや、営業部長である女性を部屋から追い出すなど、「女性は話が通じない」的なシーンがいくつかあった。ただ、女性だけでなく「独身」「子供を持たない・持てない」である人たちにとって「子供がいないから」「子供はいいぞ」のような表現はとても残酷。子供がいたって関係ない、救いようのない考えを持つ人間はいる、ということも描いているわけで。。

それに、ラストでおしゃれな上着を羽織るネッド。虫歯だらけ、風呂も入っていない不潔な状態のネッドが綺麗なものを身につけたって、不潔さが解決するわけじゃない。

根本が解決しない限りは、建前を取り繕うだけで解決にはならない。

綺麗事の建前は、根底にある悪を隠すためだけのものでしかない、

現実からただ目を背け、臭いものに蓋をしているだけではないか。

 

争いがないことだけが平和ではない。
誰も救われない戦争の一辺を描きながら、
それでも「平和とは何か」を問い続ける。
私が思うネッドの救いルートは、多角的な視点を持たせること。昆虫から着想を得て、コードを作り出せるネッドならば、夢を見ているような生き方でもいい、と胸を張れるはず。

薄くていい。「なんとなくの知識」が実は人を救うのではないでしょうか。

 

📝最後に

見るか見ないかは選択できる。
でも何か気になるなら、軽い気持ちでなんて言いません。

「芝居みっぞ!」って意気込みで、肩ぶんまわして観ることをお勧めします。
改めて思うのは、大人でよかった、会社員でよかった、家族がいてよかった。

そして、日本に生まれ、暮らしていることはいい意味で何も知らずにいる幸せなこと。

ただ、日本からは見えない世界の情勢やこれまでを知る・考えるきっかけは必要だと思います。そうでなければ、平和ってものの大切さが薄れかねない。

最後になりましたが、これを上演するために翻訳し、セリフを叩き込み、板の上に立つための準備、そして本番。なにより、この作品を上演するために関わったすべての人に、心から拍手を贈ります。

 

また一つ、世界を教えてくれてサンキューサンキューで〜〜〜す!!!!

 

 

9/16・追記

パンフのモザイク感がちょっとバグっぽくも見える。

このパンフが「血の代わりに赤く染まった、がらくたではないネッドの生んだ成果物」だったらいいのにな。

ダンス続けてます

あまりにダンスが楽しくてダンスのチケットを月8にしました。

つまり週2。と言いたいところですが実際は1日1時間が2時間、2コマになる程度です。

 

この2コマ目が自分としてはかなり挑戦。

ずっとやりたかった、でも何度も挫折した「ザ・ジャズ」をがっつりやるクラス。

とはいえ時折バレエとかも挟む予定。

基礎がとても大事なので、、、

 

2022年の夏に始めよう!と改めて気合いを入れてクラス受け始めて、この2年はほぼ毎週(風邪ひかない限り)受講。

 

はじめたてよりもちょっとした動きもマシになり、何より楽しくて楽しくて楽しい。難しいこと、踊れない、できないことばかりだけど自分の身ひとつだけで自分の感性をぶつけることができてとても気持ちがいい。

隣を見てもいろいろな人がいて、みんなそれぞれにダンスが楽しい、もっと頑張りたい、そんな気持ちが溢れていてそれも楽しさのひとつ。

 

何より、踊るようになって大好きなふぉ〜ゆ〜を1億倍好きになった。これまでがとんでもなく大好き!って感じからの1億倍。逆に好きで満たされて余裕さえ出てきました。嘘です。いまだに遠いお星様のような席でも鼻血出そうになります。

はぁ、好き。

 

指先、つま先、どんな動きをとっても踊ることは全てに繋がるようにも思えて、でもそんなに大それたことにもしたくなくて、でもすごく大切で、とはいえとてもシンプルで…

大好きなエンタメの楽しみ方も世界が広がりました。

自分が少しでも上手くなるように練習して、ライブや舞台に行った際には少しでも学びを持ち帰ろうと必死になること毎回。

舞台の上では本物のことしか表せない。そんなことを念頭に練習しております。

まだまだ上手くもないし体力もないからとにかく練習は毎回全力で、本番のつもりで取り組む。

頭の中で「適当に踊らない!」って言い聞かせる。

それでも適当な踊りに見えてしまうから1つずつできることを増やす___

 

そんなことを繰り返しているうちに、自分になかった「自信」がつきました。

昨年初めて発表会に出ることになり、自信もなく表情や何をどう踊ることが正解なのか迷って、悩んで、落ち込んで……

でもあるときふと思ったのです。

「自信って、自分を信じられればいいのでは?」

 

自信があるって何かと「自分はスゴイ」みたいな、自分はカワイイ!カッコイイ!と<自分を評価できること>だと考えがちだったのですが、決してそうではないと30過ぎてようやく気がつきました。恥ずかしながら…

自分を信じられるように、たくさん練習したり、努力すればいい。そうすれば「これだけのことをしてきたのだ」と自信に繋がる。

 

こんなにもシンプルで当たり前のことをダンスを通して(ものすごく遅いとしても)自分で到達した、理解できたことはいい人生の1ページだと思っています。

 

さあ、これからも楽しむぞー!

「ない」から見つかるミステリー〜0サガ感想文

 

前回なぜ幽霊になったか、を描かれどちらかというと物語、ラジオと人と人の繋がり、成長物語。

…を、2回も長めのブログでいかに良かったか書き連ねた2023年。

 

tanukorodesu.hatenablog.com

tanukorodesu.hatenablog.com

 

今回は「なぜ陽一がここに呼ばれたのか?」「意味深なオープニングの理由は?」という謎解き要素が含まれていて、前回とはまたことなる「ひんやりシーン」があったと感じました。

そして、見終わった後「ああ、母を誘えばよかったなあ」とも思いましたので本日千秋楽の佐賀公演、ぜひたくさんの方に届くようにと願いを込めて感想文を書き連ねたいと思います!ネタバレありますが多少理解しておいた方が分かりやすいかも?と思います。

あ、原作読まなくてもどんなスタジオなのかは知っておくとわかりやすくていいと思います!

 

ここのガラスを福ちゃんがヒョイっと・・・

では、前置きが今回も長くなりましたが感想をずらずらと〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作者・村山さんが溢れる福ちゃんへの「好き」

前回経験から原作は読んだ方がいい!と思い原作予習しました。

いつ書いたものか特に気にせず読み進めていたのですが、どの陽一も福ちゃんでしっかり再生される、というかこういう陽一に乗っ取られる福ちゃんを見たい!という村山さんの熱意というか、愛というか、好意がぎっしり詰まってました。

…それにしてもあまりにも福ちゃん演じる陽一すぎる。

巻末を見てみたら2024年の文字。

 

…はい納得です。

そして私はふと思い出しました。

とあるお昼休みに散歩しながら福ちゃんが宣伝で村山さんと佐賀のラジオのことを。

村山さん作のミニドラマであられもない姿にさせられる福ちゃん /  福ちゃんのことを考えたら創作意欲が止まらない村山さん。。

前作の時からあまりにも福ちゃんにメロメロ(わかります)とは感じていましたが、まさか原作、もはや完全新作にまで福ちゃんへの愛が溢れていて…

わ、わかります。。。全年齢性別問わずメロメロにさせるのがFuku-chan…

もちろん、魅力的なキャラクタ〜は陽一だけではないのですが、陽一に出会わせたい人が確かにこの世には(そしてきっとあの世にも)わんさかいるなあ、と今作を見て改めて思いました。

 

後にも述べますがこの作品の真髄は「大切な誰かを思い浮かべる」そんな力があることではないかな?と思っております。

・生きられるなら生きたい

今作の特徴の一つとして「生きることを羨ましく思う陽一」が描かれています。前作は見守り、大切な人を想う陽一。閉じ込められた虚しさ、苦しみもありましたが、一貫して優しくて、包み込むような陽一のあたたかさを感じられました。

ところがどっこい!今回はそんな陽一の「恨み」「悔しさ」が描かれました。

それは、飛び降りをする女性を見るシーン。

私は福ちゃんが出演する演目を見るたび、福ちゃんによるほんの一瞬出す視線や佇まいで「本質だけは逃さない」とばかりに観客を突き刺してくるのがあっぱれ〜!と思っているのですが。

今回ももれなく陽一を通してそんなシーンはありまして。

自ら死を投げ捨てることに対し恐ろしいほどの憎しみを抱いていることを瞳の中にグッと煮詰めてキッと睨む。

不慮の事故で突然命を絶たれた陽一にとって命がある、生きているのに大切な人がこの世にいないを理由に命を投げ捨てることがどのような感情を抱くのか。怒り、悲しみ、悔しさ。言葉に表すにも憚られるような憎悪。

あくまで想像ですが、陽一は長年幽霊やってるから死神と友達なんだ〜って話してたけど、そろそろ行くか?とか聞かれたら今はまだ行くわけないだろって跳ね返してそうだし、その一方で何度ももう連れてってくれってお願いしたりもしてるのかな。

本心はきっと誰にも、なんなら本人だってわかってなさそうだけど、陽一から発することは全て嘘ではないんだろうなあ。冗談は言うけど。嘘は言わない。クーっ!憎いね美男子!

 

・届かない声ほど虚しいものはない〜チューニングの話

昇太に対し、花音が何度も叫んでも届かない声。

花音が亡くなっているからこそ、もちろんその切なさ、悲しさは伝わってくるのですが。。

生きている人間同士でも、声が届かないことってあるじゃないですか。

届かないことは苦しいけど、「なんとなく誰かがいた気がする」「決して一人ではなかった気がする」その、「気がする」がとても大事だと思っています。

そんなことあったかな?ってまるで夢の中の出来事のように、曖昧な記憶の中の優しさとか愛情で案外人間は生きていると思うのです。チューニングとはよく言ったもので、チャンネルをピッと合わせるのではなく、ジリジリと少しずつ受け取ることができるように、歩み寄っていく。そのチューニングは自分でしかできないけど、ミッドナイト☆レディオは「聞いてみたい」と思わせるから、きっかけを与えるという大きな一歩を踏み出す力になる。よっ!名ディレクター陽一!名MCアンジェリカ!!希望の光!架け橋!

余談。個人的なエピソードを交えて恐縮ですが、

私は人生で2回、届かない辛さを感じたことがあります。

1回は失恋した友人を励ましたくて、寄り添いたいと思ったとき。

でも言葉じゃうまく伝わらないだろうからと彼女の家の掃除を手伝ったことがありまして。

物凄く頑張ったのですが、その時の友人は部屋がどんなに綺麗になっても心ここにあらず。

自分の無力さがとても苦しくて、きっと彼女を愛する新しい恋が彼女を癒すとわかっていながらも、声というか、心が届かない寂しさがありました。

2個目は母が離婚した時。

からしたらどうしてそんなに執着するのか、楽しかった記憶がない父に対していざ別れるとなったら私たちの声なんて入らなくなってしまった。声が全く届かなくて、また笑ったり、美味しいものを食べたり。それだけでよかったのに全然届かない。こちらもどんどん言い方がきつくなり、負のループに陥る。。

でもその経験で学んだのは、「その時気がついてもらえなくてもいい」ということ。届かないものは、仕方ない。

ちなみに私は母が辛い時期に仕切りに無くなった父(私の祖父)に会いたいと言っていたのが羨ましかったです。

そう思える人がいるだけで幸せじゃないか、と思っていました。

それでも母も今ではすっかり元気になって、一緒に出かけたり、美味しいものを食べたりできるようになりました。

よかったよかった。

・昇太の当たり前の感情

あれだけ魅力的な子(花音)がいたら、そりゃ大好きになるに決まってる。

でも、案外「普通」って物凄く難しい。

というか、昇太って物凄く奇跡みたいな存在だと思う。

駅近マンションに住んでいて、家族仲も良さそうで、アップダウンは激しくないし、何より花音ちゃんという好きな子に真っ直ぐ。

花音ちゃんはきっとそんな自分の凄さに気がついていないところも含めて、昇太くんのことが大好きで、ずっと一緒にいたいって思っていたんだろうな、とつい想像してしまう。

花音ちゃんみたいな魅力いっぱいの子だったらそうなるに決まってる、って言いそうだけど案外この世の中、みんなないものねだりなんだよ昇太くん。

それに花音ちゃんも陽一もアンジェリカも苦しさや悔しさを自分の在りたい姿で包んでいます。

それは明るさ、ユーモア、そして努力を続ける強さ。強さを維持するための心の筋トレも欠かしていないと思う。

昇太くんはその辺りを変に詮索することもなく、いい意味で表面だけ、相手の見せたい自分の部分だけを見ていてくれる。

そこを前者の3人は魅力だと察知して恋人になったり、MCに抜擢したりされたのかもなぁ、なんて思いました!

・指先に溢れる人柄

花音は自然な義手?と疑うほど指をくっつけたまま。

昇太に手を差し伸べる陽一は常に何かを包めるような柔らかさ、丸みがある指先。

昇太は自信なさげな指先(第一関節あたり)だけ行き場を失ったたどたどしさ

アンジェリカは意志の強さを感じる、シャキッとした指先。

4人ともそれぞれ個性のある指先をしていて、まさに細部に宿る魂。

先述した目線はもちろん、今日観られる方はぜひ指先にも注目してみてください!

ん〜目が足りない!

 

・今作に合う曲の話

どこかのアフトでYUKIちゃんの曲が合う!と話していたと拝見しました。

確かに。合う。そんなに詳しくないけど、長い夢とか歓びの種とか。あ、合う〜!

そして私もなんとなく聞き流していた曲が「あ、なんかこの曲ラジオ局に合う」と思いました。

SOMETIME'Sさん 迎灯 という曲です。


www.youtube.com

 

・最後に〜「ない」はすべての人に「ある」

私の家族は大体元気ですし、友達もみんな元気で私は今ありがたいことに「ある」「いる」に囲まれて生きています。

でも、いつかは必ず「ない」に直面する。そして今も私自身、もちろん「ない」ことはたくさんあります。結婚して「ない」とか。子どももい「ない」とか。

もちろん、具体的にこの作品と自分の人生が直接つながるようなエピソードを持つ人はいると思います。チューニングが合いやすい、もしくはすでに近いチューニングになってた人。

しかし!今作の本当にすごいところは、「どんな人にも平等に」「誰かを思い浮かべる」心を与えてくること。

今ある幸せに目を向けようにもそれが見えないから困ってしまう。辛くて、悲しくなってしまう。

だからそんな時数えるべきは幸せよりも「時間」と「命」!

幸せはその後いくらでもあることに気が付くことができるはず!

 

それに、伝えたいことは紙が空から舞い降りるように、届いてしまうものなのかもしれない。

はたまた聞き流していたら「あれ?なんかいいこと言ってるな」「この曲いいな」のあの感覚で救われたりする。

こんなことをついつい色々と思い巡らせてしまう今作。

「あの人に見て欲しいな」と浮かぶ時、心のポッとあたたかくなるところにそっと手を当てたくなる。

一人でも多くの人に届きますように!

当日券は公式xで案内あります!ぜひぜひぜひ〜!

 

追伸:

私が転職に悩んでいた時、死んで10年以上経つ祖父が夢に現れました。

今まで現れたことは確かなかったのに。

夢の中で祖父は病気をせずに元気な姿で、めちゃくちゃ嬉しそう。

そして食卓を囲み、もぐもぐしながらわたしに銀行の話をしていました。(祖父は銀行マンだったのです)

その後家族にその夢のことを話すと、みんな「夢になんか出てきたことない」と言っていました。

祖父は私を非常に可愛がっていたのできっと心配してくれたんだろうなとなんだか直感的に祖父の思いが伝わってきました。そして不思議なことに転職先は銀行に縁のある会社。

おじいちゃ〜ん!見てくれててありがとう。