いふいふほぼほぼもしもし

低燃費オタクの脳内です

うつになった時の上司が辞めたよ。何も謝罪はないままに

気がついたらいなかった。

正確に言えば辞める前日に辞めるらしいと仲のいい同僚から教えてもらった。

 

弊社は100人程度の中小企業。嫌でも顔を合わせるような会社だけど記憶から消して存在なきものとして私は生きてきた。別に知らないまま記憶にもないまま、そのままでいいと思ってたけど運悪く知ることになって真っ先に「私はあの人から謝罪されることはあるのだろうか」と思った

 

結果としては、謝罪はなかった

もう一生会うことはないと思う。このペースでいけばたぶん遠くない未来、私の脳がうまいこと働いて記憶から抹消される。毎日死にたい消えたいと思っていたあの日々を、お金も時間も自由も何もかも失って空白の期間となった、その原因を作ったそれは、復職して3年半以上近く経つ今まで私に一言もないままだった

私は今の部署に来るまで、上司が代わりに謝るなんて文化を知らなかった。トラブルがあれば、クレームがあれば、全部自分でなんとかしなければならないそんな日々だった

 

ある時今の上司が私の謝罪の後に重ねて詫びを入れたことがあった。まだ復職して1年程度の私は「私の謝罪が足りないのか」と怒った。ならそういう風に指摘して欲しいと怒った。今でも自分がおかしいと思う。当たり前のことなのに、どうして私があんなにも背負わされていたのだろう。

 

例え私が死んでも、同じことだったと思う

私が死んだら、いなくなったら、きっと後悔するだろうとか悲しむだろうとか一生重い十字架を背負うだろうとか…きっと原因となった人間はそんなことを1mmも思わない。相手を深く深く傷つけたことも、痛むことも知らないから罪悪感なんてものはないのだから。

私に深い愛情を注いでくれる周囲の人たちこそ、傷つけたくない人たちこそ、深い悲しみと一生忘れない傷を作ることになるだろうと今になって強く思う。だからこそ、大切な人たちを生きて愛することができてよかったと思う。

 

謝らなかったな。と思うけど

じゃあ謝ったらいいのか?解決しないのに?とかそう言う話ではない。

私はきっと最後までそれが人間らしさを持っていると信じたかったのだと思う

私が思う人間らしさをそれが持っていなかった、ただそれだけのこと

 

私にはまた明日がやってくる

深呼吸をするとなんだか目覚めがいい

過去に私は生きていない。私のこの身体も、心も、脳も、すべて今を生きている。

隅田川ヤングロード大予想大会

2022年11月18日に東京千秋楽を迎えた

ふぉ〜ゆ〜主演舞台、

否、尺伸ばしカンパニー

もとい、尺伸ばしパンカニーによる

隅田川ヤングロード〜嗚呼そりゃいけねぇぜ〜」

…とりあえず作・演出の小林顕作さんが天才だということははじめからお伝えしておきたいです。前回BORN 2 DIE(B2D)がたまたまそういう考察祭だったのかな?なんて思っていましたが今回で確信しました。

これは、好きなだけ好きなこと考えていい舞台だ!!!!!!!!

博品館からしれっとキャパを広げてヒューリックホールと大手町よみうりホールで上演。そして次は(東京・NHKホールでのライブを挟んで)大阪・松下IMPホールにて上演。

今更ながら書いていてクレイジースケジュールに驚き。通りで去年忙しかったわけですわ…

 

とにもかくにも笑って笑って笑って、寿命が伸びて、でもなんだかじーんとくる。でもやっぱり楽しくて笑っちゃう…というのが何もネタバレのないこちらの作品の感想。

でもこの作品、小林顕作さん曰く「スターウォーズでいうエピソード4」とのこと、つまり、

続編ありき〜〜〜〜!しかも過去の話(エピソード0)も考えてるってことだ〜〜〜〜!うわあああああああああああ〜(大歓喜)

確かにこの作品、言われてみればどうしてこうなったんだろう?をひとまず説明するだけで、なんだか含みのある香りがスンスンしてくる部分が多々あります。(自分調べ)

いろいろと感想ツイートはあるかと思いますが、フリック操作で指を滑らせまくっております。

どうしてこの人はこういう曲になったんだろう?どうしてあの人はあんな表情なんだろう?と憶測が憶測を呼んで早く次作が見たくてたまらないこの気持ちをブログにぶつけたい!止まらない!ああ、そりゃいけねぇぜ!!!!!となりましたのでまとまりなくつらつらと述べていきます。

 

①末吉役をなぜバケモノ俳優・辰巳雄大さんが任されたのか、所以を考える

前作B2Dで自分⇔作品内の小学生を切り替えて観客を大混乱させラストシーンでゾワゾワさせた辰巳雄大さん(35歳)

今回は高校卒業後に志半ば、映像を撮りながらフラフラとしてしまうニート息子・末吉。

しゅん、と落ち込んだりどこか自信が無さそうで繊細で、でも心にアツいものを持つ…そんな男。

末吉はわかりやすく切り替わっていったり狂ってしまうなんてことはなく、(前回の作品が超特殊だったのもある)辰巳くんをここに充てた理由が観るまでは正直謎でした。

だって、あまりにも勿体ない!絶対何か裏があるのだと思っていたら、謎が自分なりに解けました。

それは、過去のシーンでのこと。

「亡くなった母・美里の生写しのような末吉」が登場することでそこまでの話がブワッと1本の道筋で繋がりました。

末吉を甘やかしすぎだと父・五郎(福ちゃん)は幼馴染のはじめ(こっしー)に指摘されたり、

落ち込む末吉を気にかけるはじめだったり、

はじめが末吉を見る表情だったり…

末吉が甘やかされた理由はみんなが大好きだった美里を思い出すからなのでは?????と、ピーンときたわけです。

(とか言って次回マナカナちゃんが美里演じてたらぴっぴろぴ〜すぎる)

そんな中で辰巳くんは役の切り替えがめちゃくちゃスムーズすぎてあまりにも自然でした。極端に男⇔女を切り替えるのではなくて、とても自然に母⇔息子を生きている亡くなった美里(五郎の妻、末吉の母)になる。これは確かに俳優辰巳雄大の技術力が最大限に生かされるわけですわ〜〜〜アッパレ!と、納得するその一方でもう一つ残る謎。

 

②幼馴染の超モテそうな高輪はじめさんが独身なのか

…全く納得できない。

絶対美里のこと好きだったでしょ…なのに五郎と美里が結ばれるんでしょ…泣き虫なくせにそういう時だけ泣かないで背中で語りそうなんて想像してますますはじめさんなのかな…ああそりゃいけねぇぜ…美里をめぐるラブロマンスもぜひ今後明かされたら本当にうれしい。

そして五郎との腐れ縁エピソードも腐るほど出てきたらいいな…

 

③ポチ、君はどこから

謎しかない存在のポチ。堂々と喋るしミーちゃんとの恋路も気になるしどこから何のためにやってきて隅田川に何をもたらそうとしているのか、はたまた何もなくただ何もないことが平和の証なのか。ポチの歌唱シーンも増えることに期待大。とりあえず謎が多すぎる。これ以上広がることができないけどいつか謎が解けるのを見たくない、気もする

 

④五郎はなぜあんなにもロック調で歌い踊るのか

福ちゃん演じる末吉の父・五郎がチャンスをくれ!とせがむシーンでバリバリのロックサウンドに乗せてgive chance〜!と歌い踊るシーン。最後に「あ〜踊ると疲れるなあ」的なセリフがあったと記憶しておりますが、前回のB2Dでとりとめもないことが大事なセリフな気がする…と思っている私はやけにここが引っかかりました。

夢を追いかける末吉に対してつい甘くなるのは、五郎も同じように夢を追いかけていたからなのでは…?と。ミュージシャンか、何なのか。そんな夢を追いかける五郎の姿を見て美里はどんな気持ちだったのか、五郎は美里さんとの思い出がつまった店舗を守るために奔走するくらい、奥さんのことが今でも大切で大好きで、美里さんと苦労して作り上げたお団子(とは言いつつ美里さんの味を求めながら)を守り続けていくと決めるくらい愛し愛される2人の馴れ初め。どうして2人が結婚に至ったのか。何かがヒントになっているのかなと観劇しながら思う日々でした。

なお、末吉の曲もとても芝居的で滑らかなダンスはただのコメディ?と思いつつ、実は俳優の素質があったのは末吉なのでは…?と考えたり。

 

今のところ新作のお知らせは何もありませんが、2022年の記憶をなんとか引っ張り出して今年への期待をこめてここに昨年の疑問点を残します。

す!み!だ!が!わ!ヤーングローーーード♪

SHOWBOY再再演にしてやっとこさ感想文

奇跡かつ必然の再再演!

初演の頃は「あー、夏予定ないな。あっ、ふぉ〜ゆ〜の舞台やってるじゃん。ちょっくら行くか〜!」のテンションで観劇したらとんでもなく面白くて度肝抜かれてその年のふゆパラ行っちゃったよね!って私の人生の礎築いてくれた、それがSHOWBOY。

勇気とか元気とか、ハリウッドのハッピーラブドリームスマイル!みたいなあの元気を貰える作品が大好きなら・王道ミュージカルが大好きなら誰でも好きになっちゃうよね〜というこのSHOWBOYがまだ日本の一部でしか広まってない2023年夏…ふと思い立ちブログを書くに至りました。

大したことは書きませんが今の自分の解釈を備忘録として残します。

 

ミュージカル史…という本を読んで知ったのですがブロードウェイなどで「ショー」が始まった際、最初は音楽だけ、にラインダンスとかジャズダンスとかがくっついてレビューになって、いつしか歌がついてミュージカルになって、、という成り立ちからSHOWBOYの名前や作品のインスパイアにもあるSHOWBOATを始めとした作品のように古典的かつ王道のミュージカルスタイルのためにあの華やかなオープニングが存在しているんだと漸く腑に落ちて。

もちろんこれは私がいかに知識なく観ていたか…ということなのですが映画にも「すべてのシーンに意味がある」とされるように舞台やミュージカルにも全ての意味を考えていたので「これはこのシーンが繋がって…?」とかそんなことばかり考えてしまっていて。でもそんなこと考えなくていい、とにかくハッピー!華やか!これがショー!エンターテイメントだ!っていうメッセージだけ真っ直ぐに届けたいものなんだ!って歴史を紐解くことで納得できました。ありがとう文献。

 

とはいえ、はじめの「豪華客船に乗り込んだすべての人間が主役なんだ」とも思える【全員でショーに出演する】というスタイルは「キットカットクラブでのショーがいい」とされ、力を入れてきたのであろうあの豪華客船にとって自然な流れだと思いました。

あの全員総出演ショーに至るまでに中心人物である脇役を歩んできた4人の男達がたくさんの人を巻き込んで、誰だって自分の人生の主役は「自分」であることを思い起こさせて、年齢や性別関係なく全ての人にチャンスは与えられ、舞台に立つのか、立たないのかを選択できる。そして、光立つ場所に立つことができる。そんな意味が込められているような気がして、だからこそあんなにも励まされて元気になるのかな、なんて思いました。

特に、きっとあのバラバラの4人がなんやかんやで(そのなんやかんやがとてつもなく面白いけど割愛したくもなる複雑さで)集まり、とにかく面白いショーをしているんだと噂になるところ、まさに「ふぉ〜ゆ〜」って感じで。

誰に集められたわけでもないけどショーを成立させるために心が一つにぎゅっと集まるあの雰囲気。関ジャニ∞の曲で「ひとつのうた」っていう曲があるのですが、「惹かれたのはここにある熱いものが似ているから きっとそうだろう」って歌詞があって。まさにそんな感じ。

偉い人があれを観て、「これ、これだよ!これをこの客船の売りにしよう!」ってことになったんだろうな。と。

なんなら私個人的には帝国劇場に豪華客船の広告が飾られてるじゃないですか。あそこに繋がってる!って思ってます。ミュージカルが大好きだけどなんだか元気がない一般市民がなんやかんやで豪華客船に乗り込んだらものすごく面白いショーに出会っちゃった、みたいな。

遅すぎることなんてない、人生に無駄なんてない。悩んで、立ち止まって、ダラダラ続けて、どうしようもないことばかりで。それでもヤルシカナイネ!と立ち上がる時に人間の底知れぬ力強さでビッカビカに輝ける。。そんなメッセージをバシバシ受け取って、一歩踏み出しちゃう。

 

話は飛びますが、SHOWBOYを観てからウォーリー木下さんの演出作品をもっと知りたいと常日頃からTwitterで作品情報を収集しているのですが、パラリンピックの演出やストレンジシード静岡など「誰でも・どこでも・いつでも 演劇を(観る・演るで)楽しめる」という取り組みを行っていることを踏まえ、さらに劇場に入った瞬間から作品の世界観に没入できる作品作りから、SHOWBOYにも漏れなく同じエッセンスを感じられて。(だから客船で演劇が楽しめるっていうのもまさに「どこでも」につながると思っています)

観客はシアタークリエをはじめとした「なんだか豪華客船っぽい」劇場に「どうやら面白いらしい」とか、「1度観て以来このショーを心待ちにしていた」人間として訪れ、待ってましたとばかりにショーは始まり、大人気演目となったこの作品のプロローグ…突貫工事ではじまった初演の話を「と、その前に♪」と遡り、観客も演者も初心に回帰することができる。忘れていたあの頃の自分が今の自分に重なったり、見守るような立場で見つめたり。そして、拍手喝采で初演を見届けると現在に引き戻され、完璧に仕上がった素晴らしいショーで幕を下ろす。

 

この作品はきっと、評価されればされるほど、長く続けば続くほど、話の奥行きが増していく、まさに再演するほど深く化ける、深化するのだろうと今から未来へのワクワクが止まりません。

 

最後になりましたが、このSHOWBOY、元気が最大限にない時こそ観てほしいです。

もう頑張れないよ、もうここが最低だよ、って気持ちを持っているほど、登場人物も最初はどん底だったりそこそこ底だったりズーン…スタートなので。死のうとする人間だっているし。でも、誰に何を言われてもこの1回だけ頑張ってみよう、って立ち上がる。その立ち上がる足腰の強さがあったんだ!って自分の人間としての自己肯定感が1mmだけでもフワッと持ち上がる素敵な作品なんです。

「そんなの嘘で落ち込んでたんだ、って思われそう」とか「本当に辛かったら笑うことなんてできない」って思ってる人も、とんでもなく辛い気持ちの人間が無理して笑ってるってきっと表情観て感じられるので。人間ってめちゃくちゃキツい時こそ笑っちゃったりするじゃないですか、それです。

でもどれだけゴリ押ししてもふとした時にきっと出会ってしまう、それがSHOWBOYだと私は思います。まだ観てない人、羨ましい!

The BEATLES初心者によるBACKBEAT観劇感想文

最初に言いたい。

再演してくださってありがとうございます!!!!!!

 

ふぉ〜ゆ〜の温泉にどっぷり浸かってから2年。「バクビ再演してほしい」というotomodachi各位のお言葉やら辰巳雄大さんご本人による「再演したいな」という言葉からようやく「再演してという要望が出る作品はとんでもなく面白い」という経験値から再演したら必ず行くぞ!と熱く心に誓い、叶っちゃったああ〜あああ〜ハッピーラッキーサンキュー地球。

 

ビートルズで知っていることといえば

・レリビーレリビー♪

ハッチポッチステーションで覚えた「うーみーはーひーろいなーおーきいなー♪カモンカモーン♪」

you say yes I say helloハローハロー

・お宝鑑定団の曲

CMで聴いたことある〜の曲

 

つまり世界のごくごく当たり前のような触れようとせずとも当たり前のように日常にある「これはBeatlesの楽曲」となんとなく理解しながらもつい口ずさむけどよく知らないビートルズ

だけど聴くたびにどうしてか少し切ない気持ちになる。それは単にジョンが暗殺されたという歴史を知っているから少し受け取り方が切なくなる、だけではなかった。

 

最後のシーン。

スチュとジョージ2人が出会うところ。

スチュがジョンに黒いジャケットを渡し、お互いに黒い服

白い枠の中に入っていく

海外の遺影は白

スチュという憧れて愛しくてかけがえのない存在を失った埋まることのない穴があったのかなと思う

だから猛烈な追い風の中にもぴゅうぴゅうとどこかへ吹き抜けていってしまう掴めない存在だったのかなと想像を巡らせました。

 

ジョンの死は衝撃的でこの先もずっと美化されるものではなく平和を訴えるべきものだと思う。

ただ、きっとスチュとジョンはお互い笑いかけて落ち合えたとフィクションだとしてもそんな景色が見られたことが悲しくもどうしようもなく安心してしまい涙溢れた。

 

この直前にデビュー曲を歌うビートルズ

それを見るスチュ

個人的に亡くなった人が生きてる人間を見つめるっていう構図が好き、というかそうだったらいいなと思っているのでとても好きなシーンだったし、

最初のシーンで絵を描いているスチュに一人一人集まってくる姿は実ははじまりであり、

将来的に死の世界で集っていく姿なのかなって思ったりなんかしたり

 

冒頭にも書きましたが、ビートルズって明るいイメージが多かったけど切なげな曲やどこか哀愁を感じるのはなぜだろうと思ってて。

大切な人を失う悲しみを一人一人が知っていたからだとバクビ観て初めて知りました。

てっきりジョンのことだけを頭に置きがちだけれども、もっと一人一人にもともと備わっていたのかもしれない。

 

スチュの話に戻りますが、

「絵は高尚なもので、ロックは下品」

いつ誰が品のあるなしなんて決めたんだろうと昨今の文化のあれこれについても思いました。

その後ビートルズは王室に呼ばれるなんてことをパンフレットで読んだけど

なんでもかんでも芸術をカテゴライズして評価して新たな感性や才能を捻じ曲げることもあり得ると思うと

知識を見せつけるのではなく、知識を糧に自分の判断材料にするしかなくて

知識を武器に誰かを制圧しようなんてそんなことできるわけがない

してはならない、あってはならない

自分自身もそんな風に考えてしまっているのでは?なんて観劇しながら詰められる気持ちにもなりました。結局は誰かの評価にとらわれすぎなのかと。大事なのは自分自身がどう思うか、ロックだと思うのか、かっこいいと思うのか。

知識を得るとどうしても賢くなったような気持ちでまるで自分が正しいかのように話してしまうことがわたしにもある。

 

誰かの評価が高いからイイ、それも大事な一つではあると思うので、どんな判断も1人の人間に依るところであり、それが人の良さであり、美しさだと思っています。

 

ここまでつい自分の昨今のもろもろを織り交ぜて考えてしまいましたが、

ビートルズって本当にかっこいいし、その後もストロベリー・フィールズ・フォーエバーとかペニーレインとか。あの時代にどうやって考えたのだろうとか、私はサウナで整う経験しかしたことはないけれどたぶん吸ったりなんかするヤツはチルってる感じのアレはこういう音になるとすぐにでも音楽に反映できることがビートルズのすごさの一つなのかなと思ったり

Let It Beのアレンジが気に食わなくてシンプルにしたものをリリースした、とかどこまでもいつまでもロックなビートルズだからいつまでも愛されるんだろうと思いました。

 

最後の最後ではありますがバンドサウンドがめちゃくちゃかっこよくて、生演奏のこだわりがまさにロックでこの作品がこんなにも「ビートルズ最高!」って気持ちで居られるのは観客に求められる素直な喝采と本人たちの音に対する心があって、何よりもビートルズっていいよね!という思いがひとつになるからかな?と1週間以上経った今思っています。

何も知らなかった私にビートルズを教えてくれてありがとうございました!

ひとりひとりのお芝居があーだこーだという感想は思いつかないのですが、取り急ぎ備忘録まで!

ウィングレス〜ピンポイントな初見感想〜

【まえがき】

終わらない仕事、重なる負担。

嫌になって、早めに上がって、新宿へ向かいました。なんか初日に見に行けそうな時ってなかなかないし、これは行くしかない、とりあえず行ってみよう、と思い切って当日券をポチッとしました。3時間前まで予約できるのめちゃくちゃありがたい。です。僅かながらの私の観劇回数の経験値から「だいたい2回見返したくなりがち」だと思っていた、というのもあります。個人的にはまさに2回目が今から楽しみです。どんな表情なんだろう、だとか戯曲本を購入して流れを知った上で見る世界はまた違う。

バスタオルも買いたかったし(新宿高島屋のファブリック品揃えがたまらなく好き)。

そして無事に買えたオシャレなバスタオルたち。バスタオルをいくつか下げて「救う」ことを考えようといざ参らん。

 

【本編について】

大体が楽しいお芝居!舞台!って感じだったけれど、どうしようもなく自分に突き刺さったというか、心がビタッと貼り付くような、そんなシーンがありました。

今回タイトルにしたピンポイントの部分、それは「母親よ自分を責めるなそして私に謝ってくれるな」ということ。

 

--ここからは個人的な話です。--

つい重ねてしまったので、初見の感想だし述べさせてほしい。

私の母は強く自分を責めた時期があった、正直今も責めと日常の揺らぎを生きている。

娘として、私は母親に謝って欲しいなんて思ってない。ただひたすらに母が元気になる、当たり前のように好きなものを好きと言い、嫌なものは嫌と言い、笑ったり、泣いたり、すぐ寝たり。そんな日常を強く願っている。

なのに、母に何度も繰り返し伝えても「私がバカだったの」って泣き叫ばれる、その時期が1番辛かった。田畑さんの役はスピリチュアルにハマることで救いを求めていたわけだけど、私の母は自分を殴ってしまうタイプで、私は幸いにも実際にはそのシーンに立ち会ってはいないけど、いや、でも、記憶から消してしまったのかもしれない。そのくらい、愛する人に言葉が伝わらない、想いが届かないことが辛いとそんな経験があった。

もちろん、救われたいがために死んだ父(私の祖父)と話したいと言って占いに駆け込んでいた時期もあるけど知らん人の近くに行くより墓行って声聞こ!!!!!って説得した、いるわけない!って突っぱねるよりもああいう時は「じゃあどこならいるんだ」って居そうな場所に行くのがベストだと私は思ってます。

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一連のシーンで私がつい泣いてしまったのは、感動して、ではなくて悔しくて、、という表現が近いかもしれません。

というか、この表現が合っているのかわからないけれど私は人生相談を読み重ねるとこういうことを書きたくなるだろうと思いました。やるせない、答えが見つからない、だから何か引っ張ってくれる、言い切ってくれる存在が欲しい、人はなんでもいいからある時、何かにすがりたくなる、そんな人が一定数いる。もっとしっかりしろよ、自分のことは自分でしか幸せにできないんだぞと言える人間も、健康で文化的な生活の上で成り立つ。明日何がどうあって自分がどうなるかなんてわからない、そう私は思っています

…話は逸れましたがやけに母と娘の部分で思うことを記しておきたくてここに記します。

 

【救うとは】

今思うのは「やっぱりお互いの考えていることをお互いが考えて、本当の望みを見つけて、達成すること」なのかなと思います。

日常に落とし込むとすれば、言われてないけどその方がいいかなと思ってやる、とか自分の正義を押し付けるのではなくて、まず救いたい相手の声に耳を傾ける。話してくれない相手なら、とりあえず動いてみる。助ける側って体力がいるし、大変だけどやっぱり助け合いで世の中は成り立っていくと思っています。

必ずしも助けた相手が助けてくれるわけではないけど、見返りをすぐに求めるのではなく、きっとどこかでまた誰かが誰かのためになるんだろうな、と思い生きるしかない、生きることそれだけが誰かの助けである、救いになることもありますし。

 

そして、いろいろしんどいところだけを取り上げて書きましたが涙が出ても2秒後には笑える舞台でした。

映像の活用がある分、映画を観ているような気持ちになって「お金かかってる!!!」って思ったり「無骨なストレートプレイ!観客の想像に委ねるぜ!」ではなく、気軽に楽しめるエンタメ作品です。

繰り返しになりますが、当日券めちゃくちゃ楽に予約できるのでぜひ。

https://twitter.com/wingless2023?s=21&t=RhOLmmhR-b5KzDVjdXNX7w

30歳、ダンスをはじめる

私は物心ついた時からのジャニオタである。

姉がKinKi Kidsが好きで、ローソンプレゼンツKinKi KidsライブのVHSを祖母がプレゼントしてくれて、姉と共に何度も、何十回も観た。たぶんまだ5歳〜6歳のころ。幼児ながら切ない楽曲と、1曲目のキスミスで美しくターンするKinKi Kidsが大好きだった。

今思えばダンススクールに憧れはあったのかもしれない。家で少クラの録画を繰り返して見返して振りコピしていた。ゴメンネジュリエットのサビの振りが好きで山Pのバックダンサー、、つまりジャニーズJr.の気持ちになって、リビングで1人DVDを何度も巻き戻して覚えていた。な、懐かしい〜エモエモ!

大人になってからスポーツクラブのダンスクラスで1〜2回踊ることはあったし、体験スクールに行くこともあった。ジャニーズJr.になりたい!そんな気持ちでがむしゃらに踊ってみた。けど、なかなか通うまで踏み切れず30歳になった。

私はふぉ〜ゆ〜というアイドルが大好きで、その夏に観た舞台「Only 1, Not No.1」の影響もあったと思う。小柄な女性ダンサーさんが彼らと同じ舞台で肩を並べて熱く踊る姿に胸が震えた。心がボウボウと燃えて、私も肩甲骨を意識して手を大きく広げてみたい!あんな風に踊れるようになりたい!なんか、諦めたくない!やりたいこと、やりたい!そんな感情でいっぱいになった。そして何より、新しいことを始めたい!と思っていた私は近所のダンススクールを調べた。徒歩10分もかからない場所で、大人クラスが通いやすい時間に設定されており、値段もそこそこ。

とはいえ自信がなくて、行こうか悩んだ。一歩が踏み出せなかった。だけど大阪で当たると噂の占いに行って「あなたは社交的だけどビビりだから知らない場所には踏み込まない」と言われてから、なんだか悔しくて少しだけ勇気を出して新しい場所に踏み込んでみることにした。

体験初日、空気感が大好きな場所で、新しいコミュニティを見つけたときの心のあのきらめきを感じた。

【30歳になってダンスはじめました】ってなんだかものすごく面白エピソードだし、何より「ふぉ〜ゆ〜に憧れてダンス始めました」ってものすごくふぉ〜ゆ〜のファンっぽくて個人的に自分自身のことが好きになれそうな気がした。ストレスチェックでよく「自分のことを表現することができるコミュニティがあるか?」と質問されるが回答に悩む私にとって足りないピースを一つ手に入れるような感覚だった。

現在、通い始めて通算2.5ヶ月目くらい。まだまだまだまだ駆け出しも駆け出しだけど、すでに心境とか、思考の変化を感じている。

ダンスを始めたばかりの1月にふぉ〜ゆ〜のライブを観た。私はアイソレ(アイソレーション。インド映画みたいに首だけ動かすダンスのように、身体のひとつひとつの可動域を広がる練習やその動き)がものすごく苦手で、先生のしなやかでかっこいい動きに毎回感動している。そんな中のふぉ〜ゆ〜。

ものすごく当たり前のことだけど、アイソレの一つ一つがかっこいい。しなやかさと美しさ、筋肉の動き方。これまではわからなかった姿が高い解像度で観られるようになった。もちろん私が全然知識がなかった、というのは否めないが…

それでもJellyfishで流れるコンテンポラリーなんて理屈抜きでも美しいのに、理屈が入ったらもっともっとかっこいい。

それに、始めたばかりの身なのに「どうして私は先生が言うこと通りに踊らないんだろう」と悔しくて、申し訳なくて(全然そんな先生ではない、むしろ楽しもう〜!タイプ)通うことを改めて悩んでいた。でも、ふぉ〜ゆ〜が楽しく、美しく、丁寧に、力強く踊り、何よりそれぞれの個性を改めて感じて観ていたら「先生コピーをすることも大事だけど、大事なのは先生が伝えたい意図を汲んで表現することではないのか?」と咀嚼することができた。

もちろんバラバラに踊るわけでもなくて、全体を俯瞰で見た時にまとまっているというか、バランスは大事だし、そこが難しい。だからこそ先生の指導を考えて、注意して、練習して、音が乗ってきたら音やリズムに身をまかせて、練習したステップや振り付けを馴染ませる。ストレッチ、筋トレ、アイソレ、カウントでの練習。基礎の積み重ねが全ての魅力に繋がる。そんなことを全て踏まえてステージに立つふぉ〜ゆ〜のことがもっともっと大好きになって、尊敬する気持ちがさらに強くなった。

 

ふぉ〜ゆ〜だけでなく、女性ダンサーさんにも自然と目が行くようになった。これまでも全く観ていないわけではないけれど、「この人はこういう動きが得意なんだろうな」とか、女性でもかっこよく踊る踊り方とか、セクシーさの魅せ方とか、勉強になることが多い。何よりも、自分がこれまで観てきたステージは日本でも最高峰の人たちを当たり前のように享受し、なんて贅沢なものを観てきたんだろうとようやく気がついた。

この前も踊ってみて、この動きはこうした方が身体がやりやすいけど、かっこよく見せるにはこうした方がいいんだな、とか、自分の身体を理解して踊ることとか、観劇したことがものすごく自分に還元されていると思った。先生への質問も自然と出てくるようになった。

きっかけにもなった舞台「only1〜」も思い出すと自分自身として踊るだけでなく、役として踊って感情も乗せて、カウントは緻密に決められていて、、、、ってもうそんなことできる?!あの舞台に関わる人全員すごい!と、今まで以上にミュージカルに対して感動する気持ちが昂ってしまってメイキングを観ていたら前見た時より泣いてしまった。

長くなったけれども、ダンスってすごい。覚えられないことばかりだし、カタくて変な動きで恥ずかしいことばかりだけど、でも恥を捨てて、自分や隣の人と並んで踊っていると忘れそうになる大事なものを取り返せる。生きてるだけで欠けてしまうピースをまた違う色だったり、形ではあったとしても取り戻せる。何より、とんでもなく楽しい。

 

将来は健康に踊っていたい。近々SHOCKを観る予定があるが、美波里さんの姿を焼き付けたい。踊れるって、本当にかっこいい!

見えない世界を観て思うこと〜午前0時のラジオ局備忘録〜

3/11に2回目の観劇、私にとってのラスト観劇をしてきました!

本日大阪公演最終日、チケットあるみたいなのでやさしい気持ちになりたい方、愛について考えたい方、そんな深く考えずなんとなーくお芝居を観たい方…ぜひ京橋へ…松下IMPホールへ…!当日券でぜひ…!

https://twitter.com/am0_radio/status/1636351611596419073?s=46&t=RhOLmmhR-b5KzDVjdXNX7w

 

そして1回目のブログはこちら

https://tanukorodesu.hatenablog.com/entry/2023/03/05/014336?_ga=2.125693578.1026207204.1678748477-1592812972.1677947511

前回からちまちま原作を読み進めましたが、ちょうど最終章だけ読めないまま観ました!その後すぐに読了しましたが…

まず改めてこの作品の口コミ話題力?と呼ぶべきなのか、ふぉ〜ゆ〜が好きなotomodachi界隈ではこぞってリピートしていたり、やっぱり観に行こうかな?と当日券で観劇したり….リピーターチケットがこんなにも並んでいたり。

やっぱり舞台も、ラジオも、Live感のあるものは素晴らしいと思ったので心のうちを書き残したく、2本目のブログを書くに至りました。以下はまた私の備忘録ではありますが、書き残しておきたかったので記しておきます。

 

【本を読んで舞台を2回観て思ったこと】

①つめた〜い ところも あったか〜い

みんな重い思いの時間に涙ズビズビして、会場があたたかい。物語もあたたかい。でも、誰の心にもある「ひんやりとつめたい部分」を抱えて生きていく、届けていくことを選んでいく。

②今観ることがぴったりすぎる

出会いや別れを経た年度末にぴったり、まさに3月という気候(お昼暑いくらいで夜はひんやり) も味方していて、劇場もよかった。博品館という劇場も、きっと大阪も長崎も。

博品館はこじつけと思われるかもしれませんが劇場内がラジオブースっぽい。ブースの外から登場人物たちを眺めているか、もしくはリスナーの気持ちで参加できてああ〜おもしろいな〜最高だ〜って今も目をぎゅっと瞑っては余韻に浸ります。それに、何よりも博品館の空気が大好きです。銀座のなかで銀座らしく、銀座の中で銀座らしくない。そんな博品館が大好きです。

それに、原作自体は6月で、雨が似合う作品でもありますが舞台版はこの時期、この気候の中で劇場に向かい、春の訪れを香りで感じることまでがこの作品の素晴らしさに感じます。まるで日常とこの作品が溶け込んでいくような、本当にどこかで番組が放送されているような気持ち…そんなことまで考えるくらい、板の上に登場人物たちが生きていて(時々死んでて)余韻にいつまでも浸っていたい。

ラジオって現場にいないと聴くことしかできません。レポがあっても、今は配信もあったりしても、やっぱりどうなってるかがわからないラジオが大半。3/18のぴたラジで福ちゃんが「ラジオをどう表現するか」について話していたけれど、普段見ることができない風景を表現しよう!と努めてくれた努力がきちんと伝わってます!とここに記しておきます。

浜中文一生田斗真がライバル視する男〜

新人アナウンサーにしてはフレッシュさが足りない、という舞台ならではのセリフもありましたがそれでも新人ぽさ、不慣れな感じ、着実に努力を積み重ねていく姿を観客として、リスナーとして見届けていたせいかラスト近くには「初回から聞いてますけど?ミッドナイトレディオ大好きですけど?」という顔で観劇しておりました。文ちゃんのお芝居、数年前の50shades! 以来だったのですがコミカルさとかもありつつどこまでも裏切らない、裏切るどころか想像のはるか上を軽く飛び越える様な突き抜けた輝きで…これからの映画とかお芝居がもっと楽しみになりました!特に、文ちゃんのじろちゃんver、声の高さとか話し方をコピーしていてものすごく自然で。1回目にはそのコピーっぷりとか、役の切り替えを感じずに過去の景色を何の説明もなく観客に理解させる力が強くて、この作品におけるひとりひとりの表現力の高さ、技術力がとてつもないものなんだと2回目にして漸く理解することができました。この後も述べますが、みなさんターンするわけでもなく音が入るわけでもなく自然とそれぞれ違う役に入っていく。まさに憑依されているのかも、と思えるような自然さ…

④大河原恵さんというひと

発表された時、プロフィールを見て、そして写真を見てただならぬオーラに「この人のこと絶対好きになる!」と思っていました。そして初回に観劇したときに、成長していく佳澄ちゃんと、(あまり言うとネタバレになるのですが)様々な顔、それぞれの人としてふわっと入り込んで、世界をガラッと変えてしまう。そんな姿に引き込まれて、もっと大河原さんの表現を観たい、知りたいと感じるようになりました。原作にもある表現で慣れてきたかと思ったら手が震えている佳澄…という部分。よく見てみたら手がぷるぷると震えていて。ひとつひとつの役を丁寧に落とし込んでいるんだろうな、私、大河原さんのことめちゃくちゃ好きだな!と思いました。あの文ちゃんに対しての間の取り方も絶妙だし、きっとまたすぐ別の作品で観られるんだろうな、とわくわくしております。素敵な女優さんを教えてくれてありがとうございます!

⑤頑張り屋さんあおいを守りたい

道上さん演じるあおいさんのシーンが胸に突き刺さりまくったのは前回のブログでも書きましたが、1人の人間を全力で生きる姿にものすごく胸を打たれたんだなと2回目にして自分の中で納得しました。原作にあった一説であおいが男性恐怖症にでもなったのかと自身を疑うシーン。仕事を頑張りたいのに頑張れない日もあっただろうにあおいちゃん、あおいちゃん本当に偉いよあおいちゃんみんなに元気を与える仕事してるんだねきっとお母さんはずっと見守ってるし、父親のしょうもない一連の姿見て天国で知っとるわいとだとか言ってるんだろうな、いや、父親はもはや無視されてるかもしれない。それに、あおいが「男に生まれたかった」って話すのもものすごくよくわかる。同じ条件なら男の方がそれなりに身体が強くて、せざるを得ない心配やもいらない。

原作から感じたあおいの強さと弱さがそのまま伝わってきて、1番感情移入した人物でした。道上さんにとってこの作品がはじめての外部作品だとお見かけしたので勝手ながらがんばれ〜!と見守りつつ…本当に好きな役でした。。

⑥ッぱち!ぶりの後藤さん

憎めない監督でした。。なんならとても愛されている素敵な人だし、だからこそもう一つの顔を、悲しんでいる、嫌悪感を感じている相手の感情に入り込みたくても入りきれないような。でもやっぱり笑ってしまう。なによりも私は後藤さんの話し方とか声が好きだと改めて感じました。何だか諭されるんだけど優柔不断さもあって、頼りない感じに聞こえるあの声が好きだと思いました。声の中に「愛情」っていう要素がぎゅっと詰まっているような。もちろんコメディの部分も肩の力が抜けて、この作品の緩急の「緩」と絶妙な上り坂を繋ぐ、ナイス中継ぎ。後藤さんのシーンからさらにこの作品のあたたかさが強まったと思っていて、出演シーンは全体の中で少なめですがなくてはならない存在です…

⑦やっぱりすごいよ深沢さん

先述した「緩急」で後藤さんが「緩」なら深沢さんは「急」でした!叫んで、コメディ要素を強めて、時にせつなく、深く大きな愛を随所に絡めてくる。足を振り上げるシーンで見るたびにハラハラしつつあれだけ面白いのにしんみりとする空気にもぴったりとハマっていく姿。今も思い出しても笑えてきて、原作を読み返してもクスッとしたり、声も何もかも深沢さんで再生されるようになりました。(原作と当てはまらないと思う方もいるかもしれませんが…)そのくらい局長としての深沢さんが魅力的で、沢山笑いました!深沢さんがいなかったら危うく泣きっぱなし、メンタルが落ちたままだったと思います。底抜けに明るいあの声ももはや恋しい!

 

…というわけでここまで書き連ねたわけですがいずれにせよ福ちゃんの魅力は近くでも引きでもどちらでもあの儚さと優しさを感じることができました。今日はお天気もいいから私も大阪にいたら京橋からそのまま城公園行ってスタバでコーヒー買ってお散歩したかった!

まだ長崎公演もありますし、どうかどうかこの作品がたくさんの人々に届いて愛とかやさしさとかこころに棲みついてしまったつめたさがあたたまって、いきますように。