いふいふほぼほぼもしもし

低燃費オタクの脳内です

僕らの1年と映画公開の○日

映画を気がつけば3回観ておりました。

映像が美しくて、いつまでも観ていたい。日本映画の素敵なところがたくさん詰め込まれているこの作品に贔屓目いっぱいながらも感想と、自分なりの考察を備忘録がてら残したいと思います。映画って、全てのシーンに意味があるって聞いてます!

 

…ていうか贔屓目いっぱいでもいいよね?!

大好きな俳優さんたちがいて、舞台も漫画も読んだ上でだからそりゃ嬉しいし楽しいし思い入れあって当然じゃん!と思っています。

ということで(?)ひたすら以下ネタバレ含みます↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・写真の対比

序盤に出てくるストーカー山城と撮る写真はどれも楽しくなさそうな舞。しかもチェキというのもあって、暗くてどんよりしている。

なのに3人で写るとわ(舞)はどれもめちゃくちゃ嬉しそう。スマホの写真も、海で撮るチェキも。特に海のチェキは序盤のチェキと正反対にあたるくらい、明るくて優しくて愛に包まれているように思える。

永遠の命の中で、刹那をを切り取る写真。

そしてその中に守られる大切な記憶。悲劇で終わる話だけれども、30日間の一瞬だけでも楽しかったと思える日々が舞(とわ)の中にあることがきっと永遠を生きる草介にとっての救いであり、草介にとっての救いは光陰にとっても救いになる…

 

・漫画を読んでつながる「感情移し」

監督が気に入ってると言ってた、海で命を救おうと懸命に尽くし、血の涙を流すとわ。そんなとわの表情を見て、草介の涙が溢れてしまったシーン。

原作では空っぽだった平安時代の草介は泣いたり、笑ったりする中で「とわの感情が移ったんですね」と言われる。

とわを見て涙を流すなんて台本にはなかったけど涙が溢れてきた、と話す草介を演じる辰巳くんが話している姿を見て「そ、草介やないか!!!!!!」となりました。

全然違う話ですが、佐藤健さんが「セリフを覚えなくても役として言葉が出てくるようになりたい」と遠い昔のめざましテレビで話しているのをなぜか覚えていて…

役者さんにとって【人物を生きる】という力はきっと並大抵の努力では得られないものだし、さらに才能もなければきっとその地点に到達できないのだろうと素人ながらに思うので感情を移す側も、移される側も、世界を作り込む人々もみな全ての力が終結して奇跡的なシーンになったと思っています。

つまりはあのシーン、心がグッと掴まれるので私も本当に大好きです!(どさくさ)

 

・期待持たせてからの絶望が1番絶望だよね

海。光陰が草介に自分と一緒に生きていくか尋ね、草介の回答まで少し間がある。

光陰は「もしかして、、」って期待を持った表情するんだけど、草介に首を横に振られる。

そして波。期待を掻き消すような、絶望の淵に立たされるような、砂に書いた文字が消えるような、どんなに努力しても一瞬で何事もなくかき消されてしまう、光陰の孤独の象徴のようなシーン。このシーンも好き。ていうか文ちゃんのあの期待を少し抱く表情がめちゃくちゃイイ。掻き消し甲斐がある。数秒のシーンだけど、KinKi Kidsなら4分半の失恋バラードで歌ってくれると思う。

 

・診療所のシーンあれこれ

時計の針の音めちゃくちゃ気になる。

比丘尼様が人里離れて暮らしていることを表現していたり、ひたすらに時を重ねていることを意味すると思っていて。無機質に、コツ、コツ、コツ、ってただ重ねるだけの時間の軽薄さを感じてしまう。

 

・海の近くに住み続ける、そして海

当方千葉出身のためはじめのスクランブル交差点のシーン直後、「ここは!!!!海浜幕張!!!」とすぐに気がつき、その後ずっと海浜幕張だ…と思いながら観ていたのですが海の近くに住み続けることでとわと出会いやすい(原作より。とわは海に行くととても元気になる。人魚だから!海で大体のことは治癒するよ!)とか、草介が望むから、とかいろいろな理由があってあの場所に住み続けているのかなとぼんやり思うようになりました。

最初の海をバックに語りのシーンで、最後も海で物語は終わりを迎えるわけですが個人的見解では輪廻転生に繋がって行くことを示唆しているのかな〜?と思っています。

1回目を観た時は海だなぁ〜としか思えなかったシーンも、漫画原作でとわが死んだ後泡になる(人魚姫だ…)と説明されていることから、あのオープニングのコポ…を聴くととわが輪廻転生を続けてきた世界に引き込まれるようになって、まさに「映画に意味のないシーンなんてない」ということを実感しました。

もちろん、劇中の海をイメージした照明も大好きです。率直に幻想的で素敵だと思える。ひたすらに美しい映像。日本映画のこういうところ、もっと評価されたらいいのになと思います。

 

光陰よくないよそういうの!

舞に対して恋は熱病、1000年も人愛せるわけないっしょƪ(˘⌣˘)ʃとか本当にブーメランすぎる光陰。千年の孤独抱えてでも草介のこと大好きなのにね、と目頭を抑えました。光陰って何かと特大ブーメランを振り回しているキャラクターだと思っていて、まあ平安時代からの劣悪家庭環境の中でいろいろと歪んでしまっているのかもしれないのですが、、、

しかし細やかなところで光陰の優しさとか、孤独を表現されていたことが個人的にとても自分のことを話さない光陰をうまく表現していると思いました。小道具、おうちの霧箪笥とか。サボテンも長生きだもんね…と思ったり。選ぶ植物も長く付き合っていけるようなものを選んでいて、後でも話しますが洋服も長く使えそうな質のいいものを選んでいるように思えて。

孤独や朽ちる悲しさを知っているからずっと一緒にいられるようなものを選んでいるのかなとか思いました。

(てことは電球もLEDかな?10年は一緒にいられるもんね光陰…電池もPanasonicの青いやつかな…長持ちするもんね…)

比丘尼様も薬のすり潰す教科書で見るアレ(伝われ)とか1000年に渡って大切にしたいものと付き合っていることがめちゃくちゃ尊い。みんなものを大切にして、やさしくて愛がある人たちだ……

あと持ち物ではありませんが、草介がよく笑うようになる→とわの存在が、感情が草介に伝わる→やっぱり楽しそうな草介を見たらつい笑っちゃう光陰 不老不死なんてなければ、現代に普通に出会っていれば、きっといい関係性で3人楽しい時を過ごせたのではないかなと思えるところもこの作品の切なさを増幅させる要素だなと思っています。

 

・とわ(舞)の天才のモテ

まずとびきりかわいい。ぶっちぎりでかわいい。あざとさ万歳。あざとくしたいわけでもなくもうそういう枠の人類。ふとした表情はもちろんかっっっわいいんだけど、笑顔がとびきりチャーミング。1000年通して草介が好きで好きで忘れられないのわかる。そのうちの30日間、恋の始まりのずーっと楽しいところだけを100年ずつ繰り返していたら本当に100年頑張って生きていけるのかもしれない。

何より洋服がカジュアルだけど女の子らしさもあってかわいい。デニムに赤ニットとかデニムに黄色ニットとかシンプルポニテとかなんていうかシンプルに顔面と肌とシルエットが麗しい。

 

・そして、服の話

草介と舞の服がちょっと黄色トップス同士、ってリンクコーデになってるのも二人の縁を感じました。親密になっていくのが服で表されているのか、とわの選ぶ色が草介に移っていくような。最初の診療所が茶色のジジャケット?に青ニット、シャツ…みたいな服(ちなみにこの色味がなんとなく平安時代の草介の和装と色味が似ている)だったので、黄色着ちゃったりするなんて世界に彩りを感じている証拠だと思ったり。

でもあんなに一緒にいる光陰と服の系統が全く被らないところ、いかに光陰になびいていないかがよくわかる。つらい。光陰の服、好きだよ。

さらに、服で言うとラストの海で

光陰:黒

草介:茶色

とわ:白

なんだか3人の状況というか精神を表しているような配色だと思えて…光陰が真っ黒なのは罪の数が数えきれないので然るべき色、闇堕ち不老不死。草介は罪はそこそこに、でも人助けもしてたりするから微妙なラインで茶色なのかな。とわが白なのは異論ございません。そう考えると比丘尼様も白衣で白ですね!

もちろん平安からの踏襲で決まっている色かも知れませんが、だとしても平安から決まっている、変わらないもの、関係性だと思いました。

 

話は前後しますが、階段突き落とし前の山城ストーカーの服がなんかオシャレ(ただここは色々な人が「謎のワードローブ」と評している。私は割と好きだった)抱きついたりするからデートみたいな気持ちで服選んでるのかな?‥と考えるととても気持ちが悪い!参戦服(ライブに気合い入れて行く服)とは訳が違う。ストーカーがなぜオシャレして会いにくるのか。やばい、やばすぎる山城。茶店にいる時のセーターが年季感じてそれもそれでオシャレじゃん、とか思ったけどますますあのセットアップは舞に会うためのオシャレだったんだろうと感じられてやっぱりやばい。やばいぞ山城。(ものすごく褒めてます)

 

 

・大正以降の話

辰巳くんがよく「この作品は千年なので他の時代もあるし…」と話していて思ったのですが、、

まず大正時代。草介が治癒力を使って奇跡を起こすシーンが収められている部分、どうしてもこの作品が持つホラー要素のオマージュに思えていて、リングとかにあるような過去の映像というか。実際古びたテープに映像が焼かれているのもリングっぽくて個人的にテンションが上がりました。

その頃もきっとバケモノだと罵られたりして、その頃にはとわ由来の念力も目覚めていたのかな?と思いました。(原作4巻で牢屋に入れられてるとわがちょっと念力っぽいの出してる、ビリビリ)

この作品で草介のあの癇癪から発する念力がいつ産まれたのか繋がりが見えなかったのですが、とわの感情が移ったようにとわの能力が実は移っていた説が私の中では有力です。

そして大正以降、記憶を失って草介を看病しつつおそらく一人で生きていた光陰は戦争とかどうやって過ごしてきたのかなとも思うし、人に言えない方法でひたすら草介ファーストで生きてきたのだろう、と思いを馳せたら一層海での波ザザーッが千年の孤独を強めてきて辛さが増してしまいました。光陰、幸あれ。でも殺生はもうやめようね。

 

・いや、結局そこかよって思うけど作品において欠かせないのでは?の話

初見時、ちょいちょい記憶飛ぶくらい辰巳くんというか、草介の顔が良すぎて…

光陰ととわにわかるよわかるの気持ち。

そらぁキスするわなぁ!!!!!!

そらぁご飯いっぱい食べさせるわなぁ!!!

ずっと好きでいられるというか、草介以外いりません!一生草介、愛羅武勇!を貫き通したくなる。

 

めちゃくちゃどうでもいいこと:

とわが血の涙を流すとき「はいサイレン(ホラーゲーム。ビジュアルが怖いのでホラー苦手な人は調べない方がよい)を思い出し、きたよーーーーー!魔境入りきたよーーーー」という気持ちになりました。でもサイレンの屍人よりもずっとずっとあたたかくて愛と優しさに溢れてるとわに涙を流す理由がよく、よく、よーーーーくわかる、、、、

 

最後になりますが余談として少し。

当時は知っているだけでも舞台の連続からの次の舞台、その間に配信やらツアーやら何やらでもうファンでさえ忙しいのだから本人たちはきっと想像を絶する忙しさなのだろう…と思っていました。辰巳くんの映画撮影があった、ということをその後知らされることになったわけですが連ドラかな〜とかぼんやり考えていた中でまさかの世界の浜中文一との初主演映画と聞きめちゃくちゃ嬉しかったことを今でも覚えています。主題歌の発表の時はなぜか明け方目が覚めて、すかさずSNS観て特報解禁されてて、とりあえず観たら聴いたことある声が流れてきて…主題歌になるなんて想像していなかったので、寝ぼけながら幻聴かと思ったり…

いろいろと書きましたが漫画、舞台、映画と繋がっていくこの作品を語る上で、(まだまだファン歴の浅い私ながら)ここまでの人生の積み重ねがいかに大切で、大切なものなのか。思い出とか、記憶とか、大切にしておきたいものをいつまでも守っていきたいと思える気持ちが目覚めるような…作品を一貫して受け取った時に感じたこの感覚を書き残しておこうと思った次第です。まとまりは無いですが、私なりの思ったことや考察やら何やらでした!

 

そして最後になりましたが改めて…

素敵な作品と巡り合わせてくれて本当にありがとう!ふぉ〜ゆ〜!