いふいふほぼほぼもしもし

低燃費オタクの脳内です

終末医療を考える〜僕まだを観て〜

「僕はまだ死んでない」を観劇してまいりました〜!


完全にSHOW BOYでウォーリー木下ワールドの虜となり、題材が終末医療ということやストーリーも気になる話だったしなにより博品館劇場に足を運びたい気持ちで観劇してまいりました!銀座の街はやはりいいですね、とても気持ちが高まりました。ちなみに3月6日は東京マラソンらしいです。知らなかった。

観劇したら即ブログ、の日常なので今回も懲りずにつらつらと思ったこと、私情を交えながら述べていきたいと思います。つまり自分のための備忘録です。

なお、2月28日まで公演があり、チケット取れると思うので

博品館ロス

・家族の話

・命を考える

・な〜〜んかお芝居観たいな

いずれかに当てはまる人にはとてもおすすめです。ちなみに私はローチケでH列のチケットを獲得しました。見やすい。

毎度のことながら前置き長くなりましたが以下感想








・一歩踏み入れればそこは魅惑の船

客席に入るとすぐに水槽のような映像が紗幕に映し出される病室が目に飛び込む。

音響もコポコポと、まずは観客が閉じ籠り症候群の意識の中に入っていく。

もうこの「足を踏み入れたら」の感覚がSHOW BOYの客席に足を踏み入れたあの時と同じで、「うわあ〜〜〜!ウォーリー木下さんだ〜!」とめちゃくちゃ興奮しました。魅惑の船。全然違うけど、要は世界観に一気に引き込まれたのです。この作品を観に来た自分を褒めました。そして作品を教えてくれたTwitterありがとう。

そしてコポコポの泡かと思ったら「僕」「死」などタイトルの文字がコポコポしてて本編への期待値が高まりまくります。

本編が始まると早速映像とリアルが入り混じってて、例えば幼い頃の映像と今を重ねなくても「今」の人たちが幼い頃を演じる、みたいな作りをする演劇なら観たことあるけど映像を重ねることで「あの頃」と自身をまさに投影していて気持ちの入り込みがわかりやすく、引き込まれやすかったなあ、と思いました。

誰でも楽しめる作品ってとても大切だと思うんです。舞台しょっちゅう行く人からしたらどんな演出もフーンって思える、けど、まるで映画のようにもっと誰でも引き込める作品がそこにあったのです。

ああ、観てほしいな。とても軽い気持ちでフラッと観て欲しい。いろいろな人の意見が見たい。

で、他にも舞台に砂が敷き詰められていたり(マジで海岸レベル)病室に砂、というのがとても奇妙で。ただそのあと語られる「世界に溶けていく」という表現が生きてくるんです。

その世界に溶ける映像がま〜〜〜〜〜〜〜すごいんですよ誰か本当に昏睡した経験があるのかな?と思うような、世界とのつながり方がなんというか、観ないと表現できないんです、わたしの表現では。

・鯉を埋める〜生きるを選ぶこと〜

幼少期から兄弟のように育つ男2人、兄のように慕う男から川で獲り衰弱してしまった鯉を死ぬまで生かすか、埋めるのかを選べと指示される弟のような男。その後倒れ植物状態となるのは弟的な立場の人なのですが語りかけてきた兄のように慕う男へ「次は鯉を埋めるのはあなたの番だよ」と伝えます。

命を選ぶ負担、命を選ぶ権利は誰にあるのか、戸籍上の関わりなのか、関係性の深さなのか…私は私情を含めると関係性が深い人の意見も尊ぶべきと思うのですが法律上は法的な関係性が強いこともわかるし…この作品もともとVRで配信された作品で寝ている人間の視点から周囲の動きを観る作品だったのですが劇場で行われることで客席はそれぞれの登場人物に自身を重なるだろう、という解説を見ました。まさにその通り。観る人によっては様々な意見を持つことができる作品だと思います。

私は曽祖母が倒れた後、入院し、祖母がつきっきりで面倒を見ていました。最期は胃瘻と言って栄養を取り込み、寝たきりの状態でした。そんな実の母の姿を見て私の祖父は「延命治療は望まない」とメモを残し、倒れた後に祖母は「本人が望まないと言っているので」とその時の状態を受け入れ、祖父を送り出しました。7年前のことでした。

今回の舞台ではそんな確認もなく、話し合うこともできず、本人の意図もきちんとわからないままに選択を迫られるわけですがラストにもあるようにいつまでも「寄り添う」ということが縁のある人との大切で重要な時間なんだと思いました。どれだけその人と寄り添い合えるか。寄り添うことはお互いに大変だけれども、そこに愛があるんだろうなと。いのちを選ぶことはできないケースもあるけれど、誰にでも選ぶ権利がある。迫られたその時、いかにいのちと向き合い寄り添えるか、そんなことを考えられる舞台でした。

演劇、サイコー!